記憶についてのあれこれ 45  <冬の樹形>

先日いつもと違う道を歩いてみたら、白梅がちらほらと咲いている庭がありました。
今年は梅の開花が早いのかもしれません。


水仙山茶花ぐらいしか花がない季節ですが、案外好きなのが、葉っぱが全部落ちた後の木の姿を見ることです。
通勤の沿線の木々も、こんな形をしていたのか、こんな枝のつき方をしているのかと飽きることがありません。
もともと遠視気味で遠いところまでよく見えるので、父の面会に行くときの車窓からも少し離れた山の木々の1本1本をながめています。


この葉っぱが落ちた木のことを私は「樹影」というのだと勘違いしていたことに気づきました。
樹影についてコトバンクでは、「物に映る樹木の姿。また、樹木がつくるかげ」とあります。
あれ?
ではあの木の幹と枝だけの姿はなんて言うのだろうと、「樹、枝」で検索していくと同じコトバンクでは「樹形。樹木の幹、枝などが作り出す外形」だということがわかりました。なるほど。


日常の身近にある物や状況についての言葉も案外知らないものですね。


日本大百科全書(ニッポニカ)では「樹形」について以下のように書かれています。

根、幹、枝、葉などの統合から作り出される樹木の全体的な外形、外観をいう。
樹木を見慣れると、遠くからでも樹冠の形や枝の派生状態などが判別できるようになる。一般に、樹木はその高さ(樹高)により、高木、亜高木、低木に区別され、種類ごとに固有の樹形を呈する。樹形は遺伝により変わらないのが原則であるが、実際には同じ種類であっても、環境条件の違いによって、大きな変化を示す。
単独で生育している木(独立木)と林の中の木は異なる樹形を呈する。また、高山や海岸など風の強い地域に生育している木は著しく変形した樹形(風衝(ふうしょう)形)を呈する。
多雪地帯では寝間狩りなどの減少も見られる。すなわち、樹形変化の主な環境因子としては、日照や水分条件、風や雪などがあげられる。また樹齢によっても樹形に変化がみられ、幼木形、成木形、老木形と区分される。
人手が加わることによっても変化を受け、一般に天然形(自然樹形)と人為形(人工樹形)に区分される。


短い文章ですが、あの枝と幹だけの姿をこれだけ正確に表現するまでに、どれだけの人による観察の積み重ねがあったのだろうと、またふと気が遠くなりそうです。


なぜ冬の樹形に魅かれるのだろうと考えてみたのですが、小学生の頃に過ごした山間部の記憶から懐かしさがあるのかもしれません。
学校が終わって冬の日が沈むまでの短い時間は、裏山の雑木林の中が遊び場でした。
葉に覆われてうっそうとしている季節とは違い、雑木林のなかでも木々の向こうに青々と空が見える開放感と、落ち葉の香りがふと思い出されます。



成人してからはしばらくはこの樹形に気をとめることもなかったのですが、いつ頃からかまた葉が落ちたあとの木が気になり始めました。


きっかけは何気なく見た桜の木だったと思います。
12月の木枯らしで一気に葉が落ちた直後に、そこにはもう次の桜の花の小さなつぼみがあることに気づいたのでした。
何もないと思っていた冬に、次の季節に向けて準備が始まっている。
あれはもしかしたらちょっと落ち込んでいた時期で、どん底に思えても何かが準備されているのかもしれないと、自分に重ね合わせてみたのかもしれません。


それ以来、葉が落ちたあとの木が少しずつ変化していく様子が楽しみになりました。
つぼみや芽が大きくなっていくこともそうですが、それにともなって微妙に枝全体の色も変わっていくことで、山全体の色も変化していきます。


そうそう、コブシの花も12月下旬にはつぼみができ始めていますね。
周囲の木の葉が落ちて樹形だけになる季節だからこそ、目を引く存在になるつぼみと花なのかもしれません。






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