助産師になってから、自分が生まれた頃の1960年代初頭の出産や授乳についての社会の雰囲気を知りたいと思い、何度か母に質問したことがあります。
ところが「妊娠中は腰痛がひどくて大変だった」「あなたが生まれた日はすごく寒くて大変だった」ということと、義母が何もしてくれなかったという不満は鮮明に覚えていて繰り返し聞かされるのですが、それ以外は「どうだったかしらね」と記憶はあいまいのようです。
「混合栄養だった」らしいのですが、具体的に母乳やミルクをどう与えて育ててくれたのかも覚えていないようです。
唯一の手がかりが、母子手帳です。
現在の母子手帳に比べるとわずか30ページの薄いものですが、ここ数年、半世紀前の産科医療について資料を読みつないできたことで、この30ページがどれほど中身の濃いものであるかが理解できるようになりました。
「周産期医療」という言葉さえまだなかった時代ですし、胎児はブラックボックスだった1970年代よりもさらに前です。
<「妊産婦の心得」より>
表紙の裏には「児童憲章」が書かれ、2ページ目に「妊産婦の心得」があります。
最初は「栄養」について書かれています。
1.栄養
妊娠中は胎児の発育のためにも、お乳を十分出すためにも、ふだんより沢山の栄養が必要です。迷信にとらわれず、妊娠中もお産の後も、肉・魚・野菜など栄養のあるものを程よく取り合わせて食べましょう。
北海道の開拓産婆の記録にあるように、「産後の食事はご飯と塩・味噌のみ、副食物は血にさわる」も迷信のひとつだったのでしょう。
1960年代、私が小学校低学年ぐらいまでは肉や魚も毎日というわけではなかった記憶がありますから、妊産婦といえども女性が多くたべられる状況はなかったことでしょう。
胎児のためそして産まれた赤ちゃんの授乳のために栄養をとることが大事と言ってもらえる時代になった、当時の女性には心強い一文だったことでしょう。
<「新生児についての注意」と「育児の心得」>
「新生児についての注意」の「栄養」では、以下のように書かれています。
母乳で育ているのが一番よいことです。母乳の時は、あせらずゆったりした気持ちで飲ませます。
母乳が足りない時は、医師・保健婦・助産婦・栄養士に十分指導してもらってください。
「育児の心得」の中でも、母親の栄養と休息が強調されています。
イ。母乳第一
離乳までは、できるだけ母乳で育てることが大切です。母乳を沢山だすためには、母親は十分に栄養をとり、適度に休養をすることが必要です。
ロ。人工栄養
母乳が出ない時、足りないときは、牛乳や乳製品で育てます。
このときは乳児の月数によってうすめ方の加減をしたり、ビタミンやその他のたりない栄養分をくわえなければなりませんし、消毒などの注意もいりますから必ず医師・保健婦・助産婦・栄養士の指導を受けてください。
母乳が足りない分は「牛乳や乳製品で育てる」というのは、私の同級生世代はまだ粉ミルクさえ手に入らない家庭が多かった時代だったのだということですね。
「授乳の時は、あせらずゆったりした気持ちで飲ませます」「できるだけ母乳で育てることが大切です」といった部分も、「産婦さんがお産のあいだ横になれるということ」や「赤ちゃんと母親が一緒にいられるということ」に書いたように、産後すぐから家事や労働をせざるを得なかった時代背景を考えれば、「母乳はすばらしい」「母乳かミルクか」という意味ではなかったことが理解できます。
妊娠中から産後も母親は十分に休息と栄養をとり、赤ちゃんにも十分な栄養方法で育てましょうという本質が、ようやく社会に広がり始めたのが半世紀前だったのだとあらためて思います。
そして医師や医療の専門職に誰もが相談できるようになった時代の母子手帳だったのですね。
何が目的だったか。
それは「児童憲章」の最初の部分を実現させるためだったのではないでしょうか。
1. すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
「母乳育児という言葉を問い直す」まとめはこちら。