1980年代初頭に看護職になって以来30年あまりを医療現場で働いてきましたが、案外と自分が成人するまでの時代について知らないという事を痛感してきました。
1960年代から70年代の日本の医療はどんな状況だったのだろうという知識は、今でこそ「歴史」として検証され記述され始めていますが、当時はまだ自分自身が子どもでありその渦中にいたので、不確かな記憶しかないわけです。
どのような時代の雰囲気があったのだろう、それはどのような時代のうねりが背景にあったのだろう。
とても気になっていますが、断片的な情報しか得られないものです。
こちらの記事で紹介した「母乳がたりなくても安心」(二木武・土屋文安・山本良郎著、ハート出版、1997年)の中に、二木(ふたき)武氏が昭和20年代に小児科医になってからの母乳とミルクに対する社会の受け止め方の変化について書かれていた部分がありました。
今後の参考になると思いますので、2回にわけて紹介したいと思います。
最初は「母乳にこだわるノイローゼ」の「母乳の評価も時代で変わる」の部分です。
「母乳ですか?ー」ああまたかと思う。
あるお母さんの思いがよく表れた言葉です。続いてこう言っています。
「出産後3.4ヶ月までも続いただろうか。会う人のうち10人中9人までがこの質問をする。私はそのたびに惨めな思いをしながら、『いえ混合なんですよ』『今はもう全部ミルクになっちゃって・・・』などと答えるのだった。相手の方に悪意のないことはよくわかっていたが、お乳のでないことで悩んでいた私にはつらい質問だったー
お乳でもっともすぐれているのは母乳であり、赤ちゃんを育てるには人工栄養ではなく、まずは母乳でなければならないという考えは、ごく普通の常識となって広く浸透しています。そして、たいていのお母さんはそう決意しておられると思います。
しかし、このような認識は昔から一貫してあったわけではありません。たぶん近年のマスコミからの影響や保健指導によるものです。私は昭和20年代に小児科医になって以来今日まで、長年にわたり外来受診のお母さんなどを通して、母乳の評価度を体験してきました。その推移からいろいろ考えさせられたことがあります。
昔から小児保健や病気の診療にとっては栄養問題、とくに栄養状態を良くすることがすべての基礎であると考えられていました。母乳栄養がもっとも大切であるという発想は、私が医者になった当時もいわれていたことであり、この考え方は昔から現代にいたるまで一貫して変わったことがありません。
当時のお母さんや一般の人たちの受け取り方もだいたい同様だったのですが、あまりそれを意識しないですみました。なぜなら、「母乳がよい」というよりも「人工栄養が悪い」という見解が先に立ち、「不安である」「肥らない」「消化不良が多い」などで、できれば使いたくないというのが普通の認識だったからです。今日では想像もつきませんが、当時は母乳が足りない場合は、色、外観が似ているせいか重湯などは普通に用いられたのです。もちろん牛乳も用いられましたが、当時は貴重品で、経済的にも使いにくく、また栄養成績もきわめて不良であったことは後で述べる通りです。
しかし、その後ミルクの品質が急速に向上し、また日本の経済も高度成長、経済的にも人工栄養が容易に使えるようになりました。昭和30〜40年代にかけて、人工栄養はミルク一辺倒になりました。栄養成績も悪くなく、母乳のそれとほとんど遜色がなくなったのです。それどころか、良すぎて肥りすぎるのが欠点だ、とさえ言われるようになりました(後述のごとく、ミルクが濃すぎたのが原因でその後薄いミルクに改良されました)。
人工栄養が急速に増加するにつれて、反対に母乳栄養は減少し、昭和40年代には約20%台にまでなりました。母乳の減少は、ミルクの質が向上して安心して使えるようになったという理由もあるのですが、それよりもむしろ社会的風潮の影響が大きかったのではないかと思います。
当時のアメリカは母乳栄養がきわめて少なく、ほとんどが人工栄養でした。そして母乳栄養の欠点がマスコミなどでいろいろ取り上げられていました。たとえば、人前での母乳の授乳行為は野蛮である、母乳の授乳で体型がくずれる、などでした。
このような人工栄養に傾斜する母親の風潮が気になって、当時の私たち小児科医は機会あるごとに、母乳の優位性を力説しましたが、ほとんど効果がありませんでした。つくづく無力感を感じました。人工栄養が増えたのは当時の乳業会社各社の熱心なPRの競争による要因も大きいのですが、マスコミの論調などでつくられた「母乳はダサイ」「人工はナウイ」といったムードの高まりが大きかったように思います。
ただ当時、母乳の優位性を強調しても説得力に乏しかったのは、その理論的根拠がまだ明確に解明されていなかったことも大きな要因でした。それまでに主張されていた根拠は、発育のよしあし、消化不良になりやすいか否かの耐性など、臨床的観察で得られた所見の範囲内にとどまっていたため、人工栄養でもそれが良くなったとすると、母乳の優位性の主張が弱くなるからです。(その後の研究で、母乳は免疫力、栄養代謝有効物質の含有など、人工栄養より優れている点が明らかになり、理論的に十分に説明ができるようになっています)。
当時、母乳栄養の減少は世界的傾向で、これを憂慮したWHO(世界保健気候)が母乳推進運動に乗り出しました。わが国でも昭和50年代に入って厚生省がこれに呼応し、母乳推進運動を全国的規模で展開しました。これが功を奏して母乳は再び増加傾向となり、昭和55年度以降では1〜2ヶ月児で母乳の頻度が40%になりました。
私が助産師学生だった1980年代終わり頃(昭和60年代初め)に、その助産師学校では学生全員が「母乳」という分厚い医学書を購入することになっていました。
母乳の「優位性」の理論的根拠がようやく1冊になったのがあの本だったのだろうと、今思い返しています。
今回紹介した中で、「母乳栄養率は減少し、昭和40年代には約20%台」「昭和55年度以降では1〜2ヶ月児の母乳の頻度が40%」の部分に関しては、この数字は「母乳のみ」を表しているのではないかと気になります。
医学上の「混合栄養」の明確な定義がないのですが、<1950年代以降母乳栄養は壊滅的だったのか>に書いたように数字はそれを使う側の意図によって恣意的に使われることがあるからです。
そして本当に世界的に母乳栄養をしているお母さん達が減っていたのかというダナ・ラファエル氏の調査についてはこちらとこちらで紹介しました。
また小児科医が母乳の有効性を広めて母乳率が復活したというこの著者のとらえ方もあるとは思いますが、1980年代はむしろ「体重の増え方が悪いと健診で小児科医に指摘されるからミルクを足すように」という雰囲気が今よりも強くあった印象があります。
立場によって見える「事実」が異なるので、歴史をまとめるというのはなかなか難しいものですね。
もう少し次回に続きます。
「行間を読む」まとめはこちら。