ケアとは何か 7 <育児ではなく保育のほうがより本質的な言葉かもしれない>

昨日の記事で、保育所はもともと明治時代に託児所から始まったことを紹介しました。
大正時代にはスラム地域で保育所があったようですが、本格的に保育所が日本社会に広がったのは1950年代以降のようです。


ふと、気になりました。
「保育」という言葉が作られたのはいつ頃、どのようにしてでしょうか。


保育という言葉がなかった時代は、どのように表現していたのだろう。
そして「保育」と「育児」の違いは何だろう、と。



<保育と育児との違い>


「『育児』という言葉」の中で、「(ケアを)日本語に訳す時には『育児』とされてしまうので、なんだか違うな」と感じていることを書きました。


これは「『ケア』の語源と意味」で、上野千鶴子氏の「ケアの社会学 ー当事者主権の福祉社会へー」(太田出版、2011)に書かれていた、ケアはもともと英語圏では「育児の意味に限定されていた」という部分に育児という言葉が使われていたことに、なにかすっきりしないものを感じたことから書いた記事でした。
その引用箇所を再掲します。

これまで主として「育児」の意味に限定して使われてきたこの概念を、育児・介護・介助・看護・配慮などの上位概念として拡張して再定義することで、家事・育児に典型的にあらわれた「不払い労働」、のちに「再生産労働」と呼ばれるようになった分野に関わる理論がすべて利用可能になるからである。(p.5)


「ケア」の文脈で使うのであれば「育児」ではなく「保育」のほうが幅広い概念であり、適切なのではないかと、先日来、保育について考えているうちに思いつきました。


ただ、上記の上野氏の文の「育児」を「保育」に置き換えると、後半の「家事・育児にあらわれた『不払い労働』」のあたりがぎくしゃくした表現になってしまいます。
家庭で子どもの世話をしていることを「保育」と表現する人は、どれだけいることでしょうか。


一般的には、「保育」というのは専門職によるもので、その専門職には給与が支払われているというように認識されているのかもしれません。


<介護・看護・保育の境界線>


「ケア」という言葉が指し示すものは何か考えているのですが、30年前私が看護職になった頃の日本の「ケア」といえば「看護」であり、その後高齢者社会化に伴って介護もケアと呼ばれるようになったことは「看護と介護の『ケア』」で書きました。



もともとは子どもの世話からケアという概念ができたことは、不勉強ながら上記の上野千鶴子氏の本で知りました。


では、この「看護・介護・保育」のケアの違いは何かと考えた時に、ひとつは対象の違いがあるのではないかと思います。
看護は健康と疾病という視点で対象が決まりますし、介護は障害や高齢者といった視点であり、保育は乳児や幼児に対して使われるというように。


ただこの3つのケアは似ているようですが、使われ方に決定的な違いがあるのではないかと、ふと思いました。


「介護」というのは、「親の介護をする」「高齢者の介護をする」といったように、非専門職・専門職のどちらの立場でも使っています。


ところが看護や保育という言葉はどうでしょうか?
「身内の看護をする」というよりは「看病」であり、「自分の子どもを保育する」というよりは「世話をする」「育児・子育て」という言葉に置き換わるのではないかと思います。


「看護」「保育」は専門職の仕事に対して使う言葉のニュアンスがあるのかもしれません。
でもそのどちらも、当然、家庭の看護や保育から築き上げられたものです。


うまく表現できないのですが、専門職・非専門職に限らず使える「介護する」という言葉に、私はむしろ「ケア」の本質があるような気がするのです。


養育者側も「育児」という言葉を使わずに「自分の子どもを保育している」と表現するようになったら、乳児・幼児を育てることに、より客観性と社会性の広がりを認識できるようになるのではないかと。


わかりにくい話しですみません。
「ケア」という言葉は難しいですね。





「ケアとは何か」まとめはこちら