思いこみと妄想 15 <「からだ」と有能感>

昨日の記事のような「自然や季節に感動する」話というのは、自分で書いていても少し危ないなと感じる話題です。
私は本当に自然の前に自分なんてちっぽな存在だなと感じてしんみりと感動するのですが、反対に「自然と偉大な自分」の万能感に向く可能性もありますからね。


ちょうど、うさぎ林檎さんのtwitterから「助産師さんのための身体感覚講座」というセミナーがあることを知りました。
リンクはしないので、関心があるかたは検索してみてください。


「触診」とか「冷静に観察する」といった表現が使われているのですが、対象である妊産褥婦さんへの技法についてではなく、その目的は「自分のからだ」に向いているようです。


<「助産師さんのための身体感覚講座」より>


そのセミナーにはこんな言葉が並んでいます。

触診する手、ゆるめる手
寄り添う身体
相手をほっとさせる自分のたたずまい
なにがあってもぶれない軸
目と生殖器と膝のつながり
合力とは

相手の状況を察せられるような感受性
微細な変化を感じる五感
触診する手は冴えていますか?


そんな感受性を育てていくには
まずはきちんと自分の体の中に起こっている状況を冷静に観察する力があってこそ
そして、さらに自分を見失わない体勢をキープ
そのとき、もっと豊かな相手との交流が始まり出します。


出だしから「何を言っているんだか」という内容ですし、わざわざこんなセミナーに1万円も払う同僚はいそうにないなと一笑に伏してもよいのですが、こうした小さいことも見過ごすといつの間にか広まっているのが助産師の世界であることを痛感するこのごろです。


だって、医療を使わない助産のような妄想まことしやかに助産師向けのテキストとして作られてしまうぐらいですしね。


<触診は「手が冴える」ことよりも客観性が大事>



助産師業務の中にも「問診、外診、内診」という、本来は医師にのみ許された「診察」のグレーゾーンの部分を内包していることは「助産診断と助産師の『診察』」あたりから書きました。


たとえば胎児がどのような胎位・胎勢であるかを確認するレオポルド触診法がありますが、これは看護師さんでも胎児心拍を聴取する際に観察手段として行いますし、助産師の場合には逆子になっていないかや分娩進行の観察でも行います。


あるいは「お腹が張る」という妊婦さんの腹部を触ること(触診)で、子宮収縮の有無を観察することもあります。


もっと基本的な観察と触診になると、「子宮の大きさ」です。
今は当たり前のようにメジャーで測定して、「腹囲何センチ、子宮底何センチ」と客観的な数値で記録されますが、メジャーがなくて臍を中心に指何本分のあたりかを示す「臍下2横指(おうし)」といった測定方法だった時代が昭和の中頃まであったことでしょう。


こうした触診方法はそれぞれの人の指の太さや感覚あるいは経験量によっても誤差がでますから、より客観的になるようにさまざまな医療機器が開発されてきました。
「触診する手は冴えているか」ではなく、医療では「客観性があるか」どうかが大事です。



<「からだ」と「自分の存在感」>


いえ、きっとこんな「触診とはなんぞや」という話を書いても、こういうセミナーに集まる人は耳に入らないことでしょう。


途中から「身体」は「からだ」になっています。

からだには自然環境、季節、周囲の状況や人間関係に応じて変化していく能力があります。
からだの適応能力を高めるには、まず四季折々の心身の傾向を把握し、メンテナンスを行うことが有効です。
自分で自分を元気にする(整えていく)力を持ち、自分の全体像を取り戻すと人は存在感のある自分に戻れます。

そうすると、人とも楽に気持ちよく豊かにつながりあえます。
可能性がひらかれ、仕事にもやりがいが見えてきます。
志を失わないためにも、その状態に自分を取り戻していきませんか。

「からだ」「メンテナンス」そして「整える」あたりは、要注意ワードですね。



それにしても相手(患者さんや妊産褥婦さん)の状態を知るための医療行為の触診が、「存在感のある自分に戻れる」ための手段になるとは・・・。
しかも持ち物には「動きやすい服装てぬぐい、おもちであれば足袋、五本指そっくす」とあります。


五本指そっくすで助産師の触診「力」が向上すると思われているとは、いやはやですね。


身体感覚教育研究者という肩書きで著書もあるようですが、検索するとマクロビオティックやクーヨンなどの「自然系」の活動にゆるゆるとつながっているようです。


そしてきっと、自分の存在に不安を感じ他者になにかをしてあげることで自分の存在を確認せざるをえないような気持ちが、いつの時代にも姿を変えてこうしたものを作り出していくのかもしれませんね。


まあ、私が「貧しい国の人のために何かしなければ」と日本を飛び出したのも、あまり変わらないと思っています。





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