世界はひろいな 27 <500年に一度の地震に耐えられるお墓>

「100年に一度の洪水」についての記事を書いていた時に、電車の広告で「500年に一度の地震に耐えられるお墓」だったと思いますが、そんな永代供養の広告を目にしました。


お墓もリスクマネージメントの影響を受ける時代になったのでしょうか。


私の両親は50代になった頃に、献体の登録をしたようです。
そのためもあってか、「葬儀は身内で簡単でよい」と言っています。


葬儀にはあまり執着しない両親も、お墓にはいろいろと思いが強いようです。
まず都内にあった父方の先祖からのお墓を、20年以上前でしょうか、実家がある地方に移しました。
父方の兄弟姉妹にすればお墓参りも遠方になっていまいますが、そこにどのような話し合いがあったのかは私にはわかりません。


父が認知症になったあと、母は今度はその墓を息子の近くのお寺に移しました。
「お墓参りをしてくれる人の近くの方がよいと思って」とのことでした。
結構な支払いでしたが、母にとっては自分の死んだ後に誰かがお墓参りをしてくれることに安心感を持ちたいようです。


私もそろそろ献体の登録をしようと思っていますが、最近は申し込みが多いようですね。
自分の死後の身体や葬儀に、あまり執着のない人が増えたのかもしれません。


私自身は、子どもの頃から「お墓に入る」ということがなんだか窮屈に感じていました。
死ぬことは具体的にわかっていなくても、「家」に縛られるような感じが嫌だったのだと思います。
今も死んだ後に自分のお墓は要らないと思っています。


でも正直な話をすれば、キリスト教に関心が出たのは、「お葬式はキリスト教のような雰囲気がいいな」という、とても世俗的な動機があったこともひとつです。
故人を思い、故人のエピソードや故人の好きだった賛美歌を参列者が歌う、そんな堅苦しさのない葬儀がいいなと思ったのです。
そして「家」のお墓ではなく、教会の墓地に死後も皆で一緒にいるということに開放感がありました。


<葬儀のあれこれ>


東南アジアで暮らした時に、世界にはこんな葬儀やお墓もあるのかと、いろいろと考えさせられました。


日本ではお通夜や葬儀には、服からマナーまでこと細かに決まりごとがあります。
私自身、実は葬儀に参列したのは2回ほどで、そのうち1回はキリスト教の堅苦しくない葬儀でした。
そろそろ年代的に葬儀の連絡が増えてくると思いますが、内心、粗相をするのではないかと戦々恐々とした気持ちになります。


その国での通夜は、近所の人が集まって飲み食いし、しかも花札のようなギャンブルで一晩中遊ぶというものでした。


火葬はなく、特殊な薬品で遺体を加工し、1週間ぐらい弔問に訪れた人が棺に入った遺体に言葉をかけたり花を添えたりしていました。
火葬すれば小さな骨壺ですが、棺のままお墓に入れるには広大な敷地が必要になります。
そこで、棚のようなところに棺を入れるのが、お墓でした。
地方ではそのまま土葬にしていることろもあって、最初はお墓であることがわかるのですが、年数がたつと周囲の森と一体になっていました。


弔問に来る人も服装は自由で、小さな黒いリボンが悲しみを表すものでした。


1980年代から90年代にかけては、世界中の紀行文を好んで読みました。
葬儀というのは関心ごとの一つのようで、紀行文には世界各国の葬儀の様子が書かれているものがけっこうありますね。



なんといってもチベットの鳥葬が、自分の世界観がひっくり返るような驚きでした。


でも、この世に形が残らなくなることにうらやましさを感じています。





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