境界線のあれこれ 59 <感情のもっていき方、自己と他者>

数年前に出会ったニセ科学の議論の中で、「気持ちの問題」という言葉を聞きました。
納得しやすい表現というのは注意も必要ですが、当時の私にはいくつも合点がいく言葉でした。


父の伝えたかったイデオロギーも「気持ちの問題」であり、父もまた自分自身の気持ちからは自由になれないでいたのだと思えるようになりました。


もうひとつは、母の感情についてです。
父とはまた違う「気持ちの問題」があり、母の場合はそれから自由になれなかったというよりも、あえて自由にならない方向を選んでいるのではないかと思えました。


それは「答えを求めているのではなく、聞いて欲しい」というあたりかもしれません。


<話すことの目的が違う>


小さい頃からの記憶にある母は、感情の浮き沈みが激しい人でした。


何かに苛立つと急に黙ってしまい、数日ぐらい話もしなくなりました。
そんな時には、父や兄弟とともに母の顔色を伺うようにしていました。
「何か自分がしたことが母を怒らせたのだろうか」とそれぞれが気にするかのように。


こんなことは嫌だな、はっきり意見は言って、それでいていつも穏やかな人がいいなと思いつつ、思春期の頃は私も母と同じような態度をとるようになってしまい、自分でも落ち込みました。


ただ、母と違ったのは、その黙っている間に自分なりに解決策を考え、自分で決断するようになったのではないかと思います。
そして思春期の頃から、女の子同士のおしゃべりが苦手になったので、よほどなことがないと誰かに自分の悩みや気持ちを聞いてもらうということはなくなりました。


私にとっては他人に話を聞いてもらうとしたら、「相手はこの場合にどのような解決方法を選択するのか聞いてみたい」という目的がある時とも言えます。


母はただただ聞いて欲しいと思ってしゃべることが多いようです。


<「ただ聞いて欲しい」ということがよくわからない>


悩みというのは解決することが目標であり、だれかにそれを聞いてもらうというのは解決することが目的である。
誰もがそう思っていると、私は長いこと思っていたところがあります。


特に、父の認知症が明らかになったあたりから、家に帰ると母は私にしゃべり続けました。


日頃のストレスもあるので誰かに聴いてもらいたいのは当然なので、できるだけ聞き役に徹していましたが、看護や介護の視点から解決できそうな部分もありました。


ところが、「もしかしたらお父さんはこう感じているから、こうしてみれば」とアドバイス的なことを話しても、「そんなことできない」と耳を傾けてくれないことがほとんどでした。
そればかりか、とっくの昔になくなった祖母(母にすれば義母)からこんなことを言われたとか、知人にこんなことを言われたといった恨みつらみに話が戻ってしまうのです。


「あ、あまり解決したくない人もいるのだ」と、初めて気づきました。


いろいろなデーターを集め、記録することができるのですから、そこからもう少し認知症について、あるいは介護のシステムなどの情報を集めれば、ほとんどのことに解決の糸口はありそうだったのですが。


母のあの合理性と不合理性のアンバランスさは気持ちの問題であり、気持ちを他者に向けようとするか、自分に向けようとするかの違いからくるのではないかと思っています。


でもこういう私は母にとっては話も聴いてくれない、冷たい娘と感じているようです。




「境界線のあれこれ」まとめはこちら