記憶についてのあれこれ 65 <親との関係を見直せる時代>

最初は助産師だけでの分娩の場はなくしたほうがよいということを伝えたくて始めたブログですが、最近は認知症になった父とのことからケアについてテーマが広がってきました。


父についての記事はけっこう書きましたが、母については一昨日の記事昨日の記事が初めてのまとまった記事です。


母について書こうとすれば、それはまだ「回想」になっていない現実の問題がたくさんあって、できるだけ客観的に書きたくても感情の波が文章にそのままでてしまいそうになるからです。


<母と娘の葛藤を表現できる時代へ>


1990年代に入ると、親との関係が生きづらさの原因のひとつになっていることを公言できる時代になりました。アダルトチルドレンという言葉の広がりとともに。


Wikipediaのリンク先の「日本における歴史」にあるように、1980年代にはまだアダルトチルドレンという言葉はアルコール依存症の親の元で育った子どもに対してのみ使われていました。


1990年代になると使われ方はどんどんと広がり、「幼少時から親から正当な愛情を受けられず、身体的・精神・心理的虐待または過保護、過干渉を受け続けて成人し、社会生活に対する違和感があったり、子ども時代の心的ダメージに悩み、苦しみをもつ人々」(Wikipedia)であり、「メンタルケア(心理療法)が必要な人」と変化しました。


Wikipediaの「概要」では「1990年、精神科医マーガレット・ウインホルドがHow to Survive in Spite of Your Parents Coping with Hurtful childhood legaciesを発表し、日本では1995年に翻訳書の『親から自分を取り戻すための本「傷ついた子ども」だったあなたへ』が出版された」とあります。


この1990年代初頭に、私の周辺にも「心理療法を必要とするほど親子の関係に悩む」知人や患者さんが急に増えたのでした。


当時30代にはいった私と同年代やそれ以前に生まれた人は、「親を悪く言ってはいけない」という倫理観に強く影響をされているのではないかと思います。
どんな親でも感謝するべき、というように。


ですから親の未熟なところやその影響が自分にどのようにあったのか、言葉に表現してよいというこの時代の流れと雰囲気に、私自身も救われた部分があります。


感情的で、たたりや因縁で子どもを怖ろしがらせ、民間療法や新興宗教にはまる母を、客観的に見ることができるようになりました。
今も親を批判的に見ることへの罪悪感が全くなくなったわけではありませんが、それまでの「親を悪く思うと地獄に堕ちる」といった作られた恐怖心はなくなりましたから。


でも、私は心理療法を受けるほどは落ち込まず、母とは正反対の「理知的な年上の女性たち」と出会うことで感情を整理することができました。


みな長所があれば短所もある。
母の世代でも理想的ないき方をしている人なんていないという現実を知ることで、母へも少し寛容になったのでした。


<親の世代は子どもの世代に超えられていくもの>


母は昭和一ケタ生まれですから、あの戦争も体験しています。
農家に育ちながらも満足な食糧はなく、「戦争が終わってお米をたくさん食べられるようになってうれしかった」話は何度も聞きました。


新制中学へちょうど切り替わる時期で中学校にも通うことができ、そして「看護職の移り変わりと女性の学歴」で紹介したように、「1951年、女子の高校進学率は37%」という時代に商業高校に進学し、そして3年ほど会社勤めも経験したようです。


データーを記録する緻密さは、この商業高校での勉強と仕事での実践経験があったからこそではないかと思います。


「看護職の移り変わりと女性の学歴」の記事の<おまけ>で書いたように、母は義母との確執で疎遠になりましたが、その原因のひとつがこの学歴にあったようです。


母にすれば、当時の女性の中で高校に進学し就職するというのは先駆的だったのではないかと思います。そのプライドを、義母によって打ち砕かれたという思いがあるのでしょうか。
お墓の中までその恨みつらみを持っていくかの勢いで、未だに愚痴をこぼします。


そして娘の世代は、専門学校や短大、大学への進学が当たり前になり初めていました。
自由に海外に行ったり、仕事を続けることも可能な時代になりました。
物にも不自由せず、のびのびと青春を謳歌している娘の世代。


母にとっては、時代によって作られた持っていきようの無い感情にさいなまれるようです。
時々、「私の人生はいったいなんだったの」と激昂します。


認知症の父から昔の話を聞きたくてもかなわないように、母との残された時間もわずかです。
ですから、私は私が知らなかった母の人生を知りたくて昔話を聞き出そうと話を向けるのですが、母は今の不満や不安を人に聞いてもらうことしか気持ちが向かないようです。


そして私の期待する「人生経験を振り返り、娘にそれを伝える理知的な母親」も作り出した理想像に過ぎず、母との関係を最期の日まで模索することが現実なのだと思えるようになりました。


そんな気持ちを行ったり来たりしているうちに、母の良いところもまた思い出されてくるこの頃。


ほんとうにやっかいな「気持ちの問題」ですが、それがなければ人生に味わいもないかもしれませんね。







「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら