水のあれこれ 10 <水に流す>

母との感情的な確執についての記事が続いたので、今日のタイトル「水に流す」は「過去のいざこざなどをすべてなかったことにする」(デジタル大辞泉)ような話かと思われるかもしれません。


ところが、今日の話は本当に「子犬を水に流した話」です。


中学生の頃、ずっと住んでいた官舎から出たので、犬を飼うことになりました。
父がどこからかもらってきたのは、生後3ヶ月ほどの小さな白い犬でした。
今、思い出すとラブラドールレトリーバーに似ていてその血が混じっていたのかもしれませんが、1970年代の日本ではラブラドールレトリーバーなんて見たことも聞いたこともなかったので「雑種だよ」としか父にもわからなかったようです。


念願の犬を飼えることになってすごくうれしかったのですが、本当は当時はやっていたスピッツのように毛の長い犬が欲しかったのです。
短毛の子犬を見て、ちょっとがっかりしたのでした。


それでも子犬の愛らしい動きに、毎日学校から帰るとすぐに犬と遊ぶほど夢中になりました。


ある日、家の近くを散歩していた時のことです。
子犬なので少しの間なら大丈夫とリードをつけないでいました。
その地域の道には片側に側溝があって、水田のための農業用水が流れていました。


あ、と思った一瞬に、子犬は私の予期しない動きに出て、その農業用水の中へと転落してしまいました。
中学生の私にはそれほど多くない水量でしたので、すぐに追いかけて子犬を引き上げました。


水に流されたのは数メートルほどでしたが、よほど怖かったのでしょう。


それ以降、その道路を歩く時には、恐怖に満ちた様子で側溝の反対側を這うようにして歩くようになってしまいました。
そればかりか水の音だけでも嫌がるようになり、お風呂に入れるのも大騒ぎでした。
成犬になると、お風呂に入れようとしても父親の力でも抑えることができなくなり、ドライシャンプーだけになってしまいました。


高校に入ると私の帰宅時間も遅くなり、犬の世話は父親の仕事になりました。


遠くから私の姿を見つけると、しっぽをちぎれんばかりに振って喜んでいたそうですが、私の関心は犬になくなっていました。


看護学校の1年生の時、その犬がフィラリアで亡くなった連絡が来ました。
飼い始めて数年ぐらいです。
当時はまだ、ペットに手厚くお金をかける時代ではなかったので、平均的な寿命だったのではないかと思います。


連絡が来てから、1週間ぐらい泣き続けました。
授業も耳に入らないぐらいでした。


ペットロスという感情とは違いました。


私は子犬が水に流されてしまったことがきっかけで水を怖がるようになってしまったことに、とても罪悪感を感じたのでした。
犬の一生を大きく変えてしまったことに。


そしてそのために体を洗わせないようになった犬は少々、獣臭く、それが私が犬をかまわなくなった理由であることを、その犬が死んだ時に初めて自分の心の中で認めたのでした。




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