水のあれこれ 13 <泳ぐ>

最近めっきり夢を見なくなった私ですが、そのたまに見る夢で多いのが、泳いでいる夢です。


もう少し正確に書くと、「泳ぎたくて手足を一生懸命に動かしているのに、何だか進まなくてもどかしく感じている」夢です。


あれはたぶん、夢の中では「水の中」にいるけれど、現実はお布団の中ですから浮くことも進むこともできないジレンマに夢の中で反応しているのではないかと思っています。
もしかしたら、手足をバタバタさせている寝姿かもしれません。


当たり前のことですが、「泳ぐ」というのは水がなければできないことなのだと目が覚めると思います。
この夢の後に泳ぎに行くと、水がありそこで泳げることの喜びが倍増するのでした。


そして<「泳ぐ」ということ>に書いたように、1年中泳げる海の側で生活していても教わらなければ泳げず、人間にとって「泳ぐ」というのは後天的に獲得する能力なのですね。


コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)」では「ヒトの泳ぎについて」で以下のような解説があります。

陸生動物の最高に進化したヒトの泳ぎについて述べる。直立二足歩行の身体的特徴をもったヒトは、歩行による移動が主であって、泳ぎによる移動は特殊な場合だけで元来行われない。ヒトの体型は直立歩行に適した形態であって、四肢についてみれば下肢は上肢に比べ、はるかに長く強大である。また逆に上肢は下肢に比べて、はるかに自由である。ヒトの四肢の特徴が泳ぐという運動に大きく関与している。下肢の強大さを使った進行と浮上のための運動と上肢による水中での体勢保持のための運動によって、泳ぐことを可能にしている。

このような運動はヒトの場合、成長期間の過程で、社会独自の行動様式として獲得されるものであって、明らかに学習による結果である。


たしかに、「ヒトの四肢の特徴が泳ぐという運動に大きく関与している」という一文は、日頃当たり前すぎてあまり考えてもいない本質かもしれません。


そして「水は誰をも受け入れてくれる」の<体に障害を持っても泳ぐ>に書いたように、心身の障害によってその四肢の動きが不自由になっても浮力が助けてくれるので、泳ぐ楽しさは得られるのだと思います。


ヒトだけでなく、他の動物もまた水の中は気持ちがよいようです。


ただし、この後天的に学習で獲得していく「泳ぎ」に最も大事なのは、水に対する恐怖心をいかに少なくしていくかということかもしれません。
子犬に恐怖心を与えて一生犬かきができない犬にしてしまった後悔が、また心をうずかせます。


そうそう、なぜこんな「泳ぐとは何ぞや」を考えたかというと、今回の競泳日本選手権会場で「8月14日は水泳の日」というキャンペーンがあったからです。


始めて耳にした「8月14日は水泳の日」ですが、もともとは国民皆泳の日というのがあったのですね。

日本水泳連盟が、1953(昭和28)年に制定した記念日です。国民皆泳で体力の増進を狙いとしています。
(「366日への旅 記念日編 『今日は何の日』」より)

へえーーー。


そして昨年、「ドリームプロジェクト2020」として「水泳の日」とすることを制定したとあります。


先日も100歳の女性が1500mを泳いだというニュースがありましたが、いつまでも誰もが水の中で楽しく過ごせる時代が来るなんて、1953年には想像もつかなかったことでしょう。
当時は、1年中泳げる温水プールも夢のまた夢だったはずですから。


誰もが1年中、泳ぐことを身近に感じることができるというのは、電気や水道を始めとした社会基盤があることと、そういう施設を運営し続けるためのたくさんの人たちの働きがあってこその豊かな生活だと改めて思います。


泳ぐっていいなあ。





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