社会人になっても泳ぎ続け、日本選手権にチャレンジする息の長い選手が増えました。
「なぜ泳ぎ続けるのか」
記録や栄誉だけではない、「何か」が泳ぐことにはあるような気がしていました。
それを松田丈志選手のインタビュー記事の中で見つけました。
「泳ぎの動作をとらえ直す」の中でこう答えています。
水泳は単純なスポーツですけれど、実際には、いろいろな複雑な運動、人間の身体の機能や動作が絡み合って、結晶となって優れたパフォーマンスが生まれます。そのへんに気づけたのがまずおもしろかったです。それと陸上競技を見てみると、記録がもう人間の限界に近づいているような雰囲気がありますけど、水泳にはまだそういう限界は見えてきていません。まだまだ工夫のしかたがあって、速くなる可能性はある種目だと思っています。
「いろいろな複雑な運動、人間の身体の機能や動作が絡み合って」
競泳選手のインタビューなどで時々耳にする「手足の動きがバラバラになって」という感覚は、「あいつより速く泳ごう」といった雑念が力みになってしい浮力や推進力を減じてしまう難しさかもしれません。
競泳大会を観に行く楽しみは観戦そのものもありますが、開場から1時間ほど、選手の方々のアップの様子を間近で見られることです。
右手左手、右脚左脚、それぞれ指先の先端まで神経を集中させて、ゆったりした泳ぎで水の中の動作を確認されているかのようです。
私も自己流ですが泳ぎ始めて20年以上になりました。
その半分の10年ほどは競泳選手の泳ぎを見たこともなかったので、「何mを何十秒で泳ぐ」ことを目標にして時計を見ながら、ただ少しでも速く泳ぎたい一心でがむしゃらになっていました。
競泳大会のこのアップの様子をみるうちに、私の泳ぎ方も変わりました。
最初の1時間ぐらいはストロークやキックに頼らず、それぞれの四肢や指先の動きを意識しながら泳ぎます。
だんだんと手足の動きが「絡み合って」いく感じがわかるようになりました。
そして途中の10分ぐらいはスピードを上げて、「その日の最高の泳ぎ」ができればいいなと泳いでいます。
結果、30代に比べれば心肺機能も体力も落ちているはずですが、毎年少しずつ速く泳げるようになっています。
そしてがむしゃらに泳いでいた頃のような苦しさも疲労感もありません。
冒頭のインタビュー記事で、「水の中に入るのが好きなんでしょうね」「今日も朝、軽く泳いで、風呂に入ってきたんですけど、その前と後で気分が違うんですよ」という答えに、「そうそう!」と思いました。
私も最近はいつも水着一式を持って歩いています。
仕事の帰りにもいつでも気が向いたら泳げるようにしていますし、親の手術や面会の際にも、近くの公共プールを検索して30分ぐらい泳いだりしています。
泳ぎの動作を見直して泳ぎを極めたいという思いと、泳ぐことでいろいろな感情や疲れも水に流すことができるので泳ぎ続けているのです。
「生きていく上で、自分自身の軸になる」
本当に、松田丈志選手は泳ぎの達人の域に入ったのだなあと、しみじみとこの10年ほどの彼の泳ぎを思い出しています。
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