記憶についてのあれこれ 67 <永田町駅のエスカレーター>

辰巳国際プールに競泳の観戦に行く時には、永田町駅半蔵門線から有楽町線に乗り換えています。


私が最初にこの永田町駅を使ったのは21か22歳の頃でした。
まだ当時は、田園都市線が渋谷から半蔵門までようやく延長して、この永田町駅ができたばかりの時期だったと記憶しています。


渋谷から原宿や表参道に行くのに、それまでは地上の国鉄(JR)しかなかったのが、半蔵門線の開通で格段に行きやすくなりました。
また、赤坂見附と永田町の駅が連絡して銀座線や丸ノ内線ともつながり、渋谷から上野・銀座方面あるいは四谷方面、有楽町方面へも、駅で乗り換えるだけでいろいろなところに行けるので、とても便利になりました。


ただ、当時はあまり有楽町線には縁がなくて、初めて永田町の駅を使ったのは駅付近の施設へ行くためでした。


長いホームを歩いて地上に出る時に、見上げるようなこれまた長いエスカレーターがありました。



Wikipedia永田町駅を見ると、有楽町線の駅が地下4階で半蔵門線の駅は地下6階とあります。
半蔵門線永田町駅から有楽町線の駅は一旦登って、また下がりますから、あのエスカレーターは3階分ぐらいの高さがあるのでしょうか。


最初に乗った時には、後ろを振り返るだけでめまいがして転落しそうな不安に襲われました。


Wikipediaの説明では、「1979年(昭和54年) 営団地下鉄半蔵門線開業。銀座線、丸ノ内線赤坂見附駅との乗り換え業務を開始」とあります。私がこの長いエスカレーターに乗ったのは、開業して2〜3年の頃だったようです。


古くからある銀座線や丸ノ内線と比べてもホームが近代的できれいになり、そしてあの長い3基のエスカレーターがある様子は、当時、とても洗練された雰囲気を醸し出していました。


3基のエスカレーターの横にはこれまた長い階段があって、20代の頃は階段の方を利用することもよくありました。やせ我慢だったのか、それとも長いエスカレーターのめまいがしそうな感覚が嫌だったのか。


半蔵門線がだんだんと延長されて、1990年に行き先表示が「水天宮前」になる頃には、最初は閑散としていた永田町駅も、各方面からの乗り継ぎでけっこう混雑するようになったような記憶があります。
あの長いエスカレーター前も行列ができ、右側は急ぐ人のためにあけることが自然にルール化されていきました。


最初は乗るだけでめまいがしそうだった私も、いつのまにか右側を歩いて登ることが多くなりました。
電車が到着するとエスカレーターの前は長蛇の列になるので、元気に速く移動できる人は歩いた方が、混雑緩和に貢献できるのかなと思っていました。


エスカレーターのさまざまな改良>


去年だったでしょうか。
永田町駅のあの長い階段がシートで覆われて、駅改良工事が始まりました。
階段部分と壁をきれいにするのかと思っていました。
永田町駅ができて、もう3十数年になるのですものね。あの壁をそんなに長いあいだ見続けて来たのか、とちょっと感慨深いものがありました。


先日、辰巳へ向かう途中、いつもとエスカレーターの様子が違っていました。


3基あるうちの真ん中のエスカレーターは、時間帯によって上りと下りにかわるのはいつも通りなのですが、「急ぐ方は真ん中の速いエスカレーターをご利用ください」と案内していました。


真ん中に乗ってみたところ、隣りのエスカレーターよりも速い速度で動いていました。
それでもさらにその速いエスカレーターの右側を歩いて登っている人もいましたが。


ところが、翌日にはまたいつもの速度に戻っていました。


もしかして、階段部分もエスカレーターになって4基のエスカレーターを稼働し、さらに混雑する時には速度を速めることで混雑緩和とエスカレーターでの歩行を少なくできるように、あの日だけの試みだったのかもしれません。


そういえば2013年に東横線の渋谷駅が新しくなった時に、エスカレーターの速度を変更していることに気づきました。


ゆっくりな速度のエスカレーターを初めて見た私のは、90年代の都内のスーパーマーケットでした。
近隣に住む方々の高齢化に伴って、母のように普通の速度では怖くて乗れなくなることに対応したのだと思います。
乗り馴れないとゆっくり動くエスカレーターに乗るのは案外難しく、つまずきそうになりましたが。


高齢化社会バリアフリーの社会基盤のために、混雑緩和だけでなくゆっくり移動する人にも配慮するという両方の必要性を満たすというのは、結構大変なことかもしれません。


これからは、エスカレーターは4基ぐらいで、速度別に対応するのが基本形になるかもしれませんね。
急ぐ人もゆっくりの人も、皆が使いやすいように。


こうしてみると、東京のあちこちはけっこうクールに変化しているなと思います。


永田町のあのエスカレーターは、どんな風に変化するのか楽しみです。







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