「力任せに泳げば速くなるわけじゃない。そこが水泳のおもしろいところ」

先日のNHKアスリートの魂」は、「"水の覇者になる" 競泳 萩野公介」でした。


萩野選手といえば、世界水泳バルセロナで17レース出場というタフさで驚かされた選手です。
その前年のロンドンオリンピックでは、日本史上初の400m個人メドレーで銅メダルで注目されました。


その1〜2年ぐらい前からでしょうか。高校生スイマーとして日本選手権でも上位入賞に名前が上がるようになったのは。
彼の上眼瞼にあるゴーグルによって皮膚が硬くなった部分をみて、どれだけ泳いでいるのだろうと強く印象に残りました。


その後は、同じ年齢で同じ種目の瀬戸大也選手との切磋琢磨が、競泳会場でもいつも注目されるようになりました。


自由形や200m、400m個人メドレーでは常に優勝か2位という圧倒的な強さですが、競泳会場でのインタビューではいつも淡々とした印象がありました。
うまいことを言って会場を沸かせる必要はないし、むしろ淡々とした選手のほうが私個人は好きなのですが、萩野選手は何かうまく伝わっていなくてもったいないなあという気持ちが残りました。


今回の番組では、何がうまく伝わらない理由だったのか、そして萩野選手の普段は表現していない思いがとてもよくとらえられていました。



あらためてすごい選手だと思いました。
それは自分をとても客観的にみることができている、の一言につきるかもしれません。


<努力によって作られた自信とその限界を知る>



あのタフさと記録についても、「素質はあったと思いますけれど、トレーニングによって勝ち得たもの」「親は全くスポーツはできない。血統書つきではない」「練習をやってきたという自信で泳いでいる」と、自身の努力を語っていました。


その努力は、北島康介選手を育てた平井監督が「努力することに限界がない。冗談でコーチ仲間で、萩野選手を苦しめるにはどうしたらよいかというほど、底抜けの努力家」であると言うほどのようです。


その萩野選手が、2013年の世界水泳の400m個人メドレーの最後の自由形で失速し4位になり、「世界の舞台で勝てないのは何が足りないのか」という壁にぶつかった様子がありました。


そこで平井監督がこう答えています。

水泳は個人だが、練習はチーム。自分の弱さをチームの人と認め合うことで、自分の弱さ強さを再確認するチャンスがある。それがないと自分の弱さを自覚するチャンスが減る。


あーーー!こういう言葉が聞けるから、私も競泳観戦にはまるのだなあと思いました。
そしてそれが自分の仕事や実生活での行き詰まったときに、力を与えてくれるのだと。


さて、萩野選手はインタビューに答えていました。

自分で言うのもなんですが、基本、自分は人に興味がない。人が何をしてようが、勝手にやっていてという感じ。

おそらくこれが萩野選手の強さでもあり、あの競泳会場での淡々としたインタビューの理由でもあるのでしょう。


高地合宿で負傷しながらも練習を楽しんでいる北島選手の様子をみて、萩野選手の感じた話が入ります。

すごいなと思います。(中略)苦しいでしょうけれど、それさえも試練のひとつとして楽しんでいるような。
自分だったら焦ってしょうがない。どうしよう、どうしようって。


萩野選手の弱さとはというインタビューに、こう答えていました。

自分の弱さは気持ちの部分じゃないですかね。乗っている時、調子がいい時はなにもしなくても調子がいい。弱っているときに、いかに自分に打ち勝つ心を持っているかが重要。

どう考えても無理ですからね。ひとりで成長していくというのは。自分ひとつでできることは、限界がすぐに来る。

アリゾナでの高地合宿を追った番組で、偶然、北島選手の負傷があり、こうした萩野選手の変化をとらえたのは、番組制作側の「編集」の意図も大きいとは思いますが、実際にこのまえの日本選手権で、萩野選手が変化した印象をうけた場面がありました。


優勝インタビューで、アナウンサーが萩野選手の名前をまちがって「おぎの」と言ってしまった時に、「あ、自分は『はぎの』ですが」とさらっとかわしてインタビューを続けていました。
その時に、今まで見たことがないリラックスした表情だったのが印象的でした。


努力によってつけてきた自信と、ちっぽけな自分を突き放すことができたのかもしれません。


萩野選手の番組での冒頭の言葉が今日のタイトルなのですが、勝手に変えさせてもらうと「力任せに生きればよいのではない。それが人生のおもしろいところ」というところでしょうか。


泳ぐっていいなあ。