昨日の記事の植物の変化のように、毎日連続して見ていると気づかない変化も、1週間おいてみると違ったものが見えてきます。
その地域に住んでいた時、あるいは1年に1〜2回ぐらいしか帰省しなかった頃には見えなかった変化が、今、父のところへ1週間から10日ごとに通うことで、明確に見えることがあります。
私が「定点観測」という言葉に出会ったのは、村井吉敬(よしのり)氏とその研究仲間の方々に出会った時でした。
日本の開発援助の影響がどのように相手国のその地域に出るのか、それを一定期間を置いてその地域を訪ねることで検証するという意味で、「定点観測」という言葉が使われていたと記憶しています。
社会の変化は、植物の変化ほどははっきりとはわからないものですが、それでも1年毎、2年毎とある一定の期間をあけて再訪すると、そこに住む人々の暮らしの変化がけっこう見えてくるものです。
政府開発援助は往々にして大規模なインフラ整備が主ですから、強制立ち退きで生活の基盤を失うたくさんの住民を生み出すことがあります。
数年後に再訪すると、なんとかそういう人たちの中にも生活を立て直し、またインフラ整備で確かにその地域の経済が上向きになってその恩恵を受けていることもあります。
日本が戦後、世界銀行からの借金でインフラの基盤を作り出したように。
自分たちが考えた正しさだけで「白か黒か」を決めつけることなく、答えを考えて続けていくことが、問題提起した側の責任でもあるからこその「定点観測」だったのだと思います。
この「定点観測」という言葉を知ったことは、私自身もハッとさせられるものでした。
正しさは自分の頭の中で作られた論理ではなく、仮説と観察によって検証していくことが大事であることに、改めて気づかされました。
それを実行している人たちに出会ったことは、幸いなことでした。
これもまたのちにニセ科学の議論の中で出会う折り合いをつけると同じく、「拙速に答えを出さない」という一言につながる伏線だったのかもしれません。
<気分で変化する社会>
このブログの中でも過去に何度か「定点観測」という言葉を使いました。
たとえば、「助産所数の推移と分娩以外の業務」の中で、以下のように書いています。
かれこれ7,8年、開業助産所での業務内容に感心があって調べています。特に助産師の中でホメオパシーが広がっているということを知って驚愕した2009年からは、助産所のホームページなどを定点観測しています。
この記事で書きだした助産所の「業務」に紹介されていたさまざまな民間療法の中に「抱っこ療法」があります。
これが最近、話題になった「ズンズン運動」のことですが、数年前には開業助産師さんたちのHPやブログで好意的に紹介されているものがしばしばありました。「免疫力」という言葉とともに。
数年ぐらいでこうした助産師が勧めてきた民間療法や代替療法をリストアップしてみると、いかに流行り廃りがあるかがわかります。
それは自分の経験に対する思い込みによるのか、はたまた助産師としての臨床経験の自信の無さの裏返しなのか、いずれにしても本当に何かに有効であるからというよりも気分によるものではないかと思います。
さて、最近、定点観測は数年ではまだまだだめかもしれないと思うようになりました。
すっかり下火になったと思った酵素玄米がふつうに医療機関で働いているスタッフの口から出て来て愕然としました。
最初はコアな「自然派」の人たちで広まり、数年経つと「なんとなくカラダによいかも」という気分で広がっているようです。
まだまだ定点観測を続ける必要がありそうです。
それにしても「助産雑誌」は今年の4月号でも水中分娩を好意的に掲載していたり、大丈夫でしょうか。
こちらも定点観測が必要そうです。