記憶についてのあれこれ 72 <ジャスミン>

ここ数日、私の服装は一気に夏物になりました。
今年の4月は真冬のような寒さから一転、夏日になるなどかなり気温の変化が激しい一ヶ月でした。


季節の変化を感じるのに、この気温だけでなく光の変化とか雲の変化もありますね。先週は入道雲が出ていました。


もうひとつ、ふと感じる匂いもあります。
こうして窓をあけながらブログを書いている時にも、ジャスミンの花の香りがどこからか漂ってきました。


ジャスミンの花の香りがし始めると、初夏を少し感じるような気候ですね。


でも案外、このジャスミンは日本に定着して日が浅いのではないかと思います。
子どもの頃には「いつかこの実物を見てみたい」と夢見ていた花なのです、私には。


ジャスミン茶>


小学生の頃に住んでいた地域に、本格的な中華料理のコースを出すお店がありました。
1〜2年に一度、食べに行くことがありました。きっと、両親が何か気合いを入れてお祝いしたい時だったのでしょう。


そこで出されたお茶がジャスミンティーでした。


日本茶ティーバックの紅茶とインスタントコーヒーぐらいしかなかった1960年代から70年代に、その中国のお茶を初めて飲んだ時は、「こんなお茶を飲むところがあるのか」と世界がまた広がりました。


香りはやや強いのですが、子どもでもおいしいと思いました。
そして何より、ポットの中に乾燥させた花が入っていて、それが香りのもとであることが印象深く残りました。


もうひとつその中華料理店で気に入ったのがザーサイでした。
桃屋のザーサイが発売されたのが1968(昭和43)年のようですから、まだまだ日本では馴染みのないものだったと記憶しています。
ご飯とザーサイはおかわり自由で、本当は中華料理でお腹がいっぱいなのに皆、さらにこのザーサイ食べたさにご飯をおかわりしたのでした。


そのお店に行くと、必ずザーサイとジャスミンティーを買って帰りました。


家で大事に大事にそのジャスミンティーを味わい、ポットの中にある白い花を見るたびに、「実物の花はどんな風に咲いているのだろう。いつか見てみたいな」と、中国への憧憬がかき立てられたのでした。


<あれもジャスミンだった>


ここ10年ぐらいでしょうか、ジャスミンが私の住む地域や勤務先の地域でも急速に広がったのは。
特に、ハゴロモジャスミンと言われる種類が多い印象です。


「みんなの趣味の園芸」の「ハゴロモジャスミン」では、鉢植えが昭和50年代から広がったと書かれています。
そのページのリンク先の「マツリカ」には「日本でも古くから栽培される常緑性つる科植物」と書かれているので、昔から馴染みのあった地域もあったのでしょうか。
街中のあちこちに広がり出したのは21世紀にはいってからのように感じるのですが、実際のところはいつ頃からどんな広がり方をしたのでしょうか。


この「マツリカ」の名前について、「ガーデニング花図鑑」というサイトでは「サンスクリット語の『マリカー』が語源」と説明されています。
ジャスミンを漢字で書くと「茉莉花」とあるのは、この意味だったのですね。初めてつながりました。


もうひとつ驚いたのは、そのサイトの説明に「ちなみにフィリピン語(タガログ語)では『サンパギータ』といいます」と書かれていることでした。


フィリピンの街中や教会のそばで香りのよい白い花を編んだ飾りが売られているのは有名ですが、あれがジャスミンだったのですね。



それにしてもまさか半世紀の間に、あのジャスミンの花がこんなに身近になる日が来るとは思いませんでした。






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