記憶についてのあれこれ 75 <樹脂と輸液>

「樹」脂といっても今日は植物の話ではなく、医療の話です。


通勤中の電車のテレビ広告で、樹脂を扱っている会社のものがありました。


身の回りにある様々な物に樹脂、特に合成樹脂が使われるようになって、本当に便利になったなと思います。


身近なところでは、最近の電子レンジで加熱しても変形しない食品のパックなんて本当にすごいと思います。
1970年代に初めて電子レンジが出て便利になったものの、プラスチック類は無惨に変形するものが多いので、「病院で食べる食事」に書いたように、1990年代でも耐熱ガラスや陶器の器に移し替えることが必須でした。


私が子どもの頃には近未来の夢だったような日常生活が当たり前になっているひとつの理由に、こうした保存性にも耐久性にもすぐれた樹脂が安価になったこともひとつの理由なのだなあと、ちょっと感慨深くそのテレビ広告を見ています。


そしてもうひとつその広告で思い出したのが、医療現場で日常的に使う点滴の容器の進化です。


<点滴ボトルの変遷、1980年代より>


私が看護師として働き始めた1980年代初めの頃の点滴ボトルといえば、ほとんどがガラス製品でした。


ボトル内にエアー針を通すためのガラスの管が取り付けられていました、と言葉で表現してもイメージがわかないと思うので写真がないか検索してみました。
残念ながらさすがのネットでも、みつかりません。
ちなみに最近の合成樹脂による点滴は、こんな感じです。


この形状なら点滴「バッグ」が名称としては正確だと思いますが、いまだに医療現場では点滴「ボトル」と呼ぶのも、もともとはガラス製のボトルから始まったからかもしれません。



点滴ボトルはだいたい500mlが標準ですが、その溶液の重さにガラス容器の重みが加わりますからけっこうな重さでした。
それが段ボール制の箱に10本詰められていたので補充も一仕事でしたし、手を滑らせるとガシャーンと病棟中に響き渡る音とともに破損し、泣く泣く後片付けをすることがありました。


1980年代半ばになると、現在の点滴バッグも少しずつ広がり始めた記憶があります。
ただまだ硬いプラスチック製で、ガラス製ボトルと同じようにエアー針を刺す必要があり、刺し忘れて容器内が陰圧になり点滴が途中で止まってしまうこともありました。


1990年代前半ごろまでは、「点滴ボトルにエアー針を刺し忘れない」も大事なリスクマネージメントのひとつでした。


また点滴に溶解する薬液のほとんどが、ガラス製のアンプルでした。
Wikipedia注射剤の「容器」に書かれている通りです。

ガラスの内に薬剤を入れた後に、先端を熔封したもの。頭部を折って薬剤を取り出す。従来のものはアンプルカッターと呼ばれるヤスリを用いて首に傷を付けて折っていたが、近年は傷を付けなくても頭部が折れるよう加工されたワンポイントカットアンプルが主流である。


そうそう、ハート形のヤスリが必ず薬剤の箱に入っていて、それでゴシゴシとアンプルに傷をつけてからパキンと折っていました。最初の頃はうまく折れなくて、アンプル本体を押しつぶして割ってしまい、指に怪我をすることもありました。


点滴の準備をするのも命がけだったというのは大げさですが、現在は同じガラス製でも簡単に正確にカットできるので、いつのまにかあのヤスリも病棟から姿を消しました。
たぶん1990年代ごろだったような気がします。


<「大塚製薬工場」の歴史より>


最近は薬剤でもプラスチック製の製品が増えてきましたし、上記でリンクしたWikipediaの「プラスチック容器」にかかれているように抗生物質などで「混合しておくと不安定になる薬剤を隔壁で分け、使用する際に片方の部屋を押して隔壁を破り、開通混合して用いる二層バッグといった特殊な容器」もあり、点滴の準備作業も楽になった部分もあります。


いつぐらいからこうした製品ができたのだろうと検索してみたら、「大塚製薬工場」のサイトに歴史が書かれていました。


1976年 ツイストオフアンプルと呼ばれ、上部をねじり開封する注射用プラスチックアンプルを発表

1984年 日本発の薬液用生食注、蒸留水として、100mlピギーボトルを発表し、100ml製品の新たな用途を切り開いた

1996年 抗生剤と生食溶液を二層に分け、ワンプッシュで溶解できる世界初の抗生剤キット製剤「セファゾリンNa点静注用1gバッグ『オーツカ』」を発表


1970年代にはプラスチック製のアンプルが開発されていたのですね。でも実際に医療現場で日常的に使われるようになったのは1990年代のように記憶しています。


また、現在は当たり前のように抗生剤の点滴に使われる生食100mlが開発されたのが1884年ということは、私が新卒から数年ぐらいは何を使っていたのだろうと記憶が曖昧なのですが、1980年代前半の抗生物質の注射は点滴ではなく、20mlほどに溶解したものをゆっくり静注していたのではないかと思います。


いやあ、こうして思い返してみるとわずか30年ほどで、点滴の風景は大きく変化したことを改めて感じます。


これも合成樹脂の恩恵ですね。
本当に良い時代になったと思います。






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