記憶についてのあれこれ 77 <「年金だけは続けた方がいい」>

父は私の日常生活や人生についてあれこれと言うことがない人でした。
その父から言われた数少ない人生のアドバイスとして「イデオロギーに入り込むな」と、もうひとつ「年金だけは続けたほうがいい」があります。


ちょうど私が自分で給料をもらうようになった頃だったと思います。


社会人になったばかりの頃というのは、不安も大きい反面、なんだか前途洋々の将来だけがあるような根拠のない自信に満ちていました。
そのおかげでかなり無謀ともいえる経験もできたのだと思いますが、「自分は死なない」「自分の老後に困ることはない」と思い込んでいたようなところがありました。


初めて手にした給与明細をみて所得税や健康保険、そして年金が天引きされて手取りが少なくなるあのがっかり感から、つい「将来、年金なんてもらわなくても自分でなんとかなる」と思いたくなるものです。
「老後」なんて気が遠くなるほど先の事ですから。


父はそのような若者の気持ちをわかっていたのか、それとも私がいつかは海外に飛び出してしまうような娘だと案じていたのでしょうか。


私が海外で暮らした1980年代はまだ、国外にいる時には年金も免除されていました。
当時は、「年金を払わなくてすんでラッキー」ぐらいに感じていました。
でもどこかに父のこの言葉が残っていて、それ以降は職場を変わる際の空白の期間でもこまめに国民年金に切り替えて、支払いの空白期間がないように気をつけていました。


その頃は自分が老後にもらう年金のことしか頭になかったのだと思いますが、もうひとつの年金の重要性を痛感したのがここ10年のことです。


80代の父が認知症になり、70代の母が自宅で介護し始めましたが、高齢の夫婦でなんとか基本的な生活費を捻出できたのは年金のおかげでした。


年金で悠々自適というわけではなく、やはり経済的な不安があったのでしょう。
60代になって母が少し働き、母自身の国民年金料も払っていたようです。


その二人の年金に私たち子どもからの多少の経済的な支援で、今、両親は介護施設やサービスを利用しながら生活することができています。
もし年金がなかったら、私か兄弟が両親の長い老後の生活を支えるために体を壊すまで働き、さらに親の介護で奔走することになっていたと思います。


日本年金機構の資料「年金制度における改革内容について 〜これまでの沿革を踏まえつつ〜」平成26年10月)の「公的年金制度が整備されてきた背景」(p.3)の中に以下のように書かれています。

公的年金制度があるおかげで、現役世代は年金の保険料を支払えば、親の老後を個別に心配することなく安心して生活を送れる仕組み。


最近は自分の老後のことよりも、まずは両親の人生を全うしてもらうために年金の有り難さを痛感しています。


父は何を考えて「年金だけは続けたほうがいい」と言ったのだろう。
今は、もうその思いを知ることはできないのですが。





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