米のあれこれ 1  <お米の記憶>

祖父が水田を持っていたおかげで、私は子どもの頃から美味しいお米に恵まれていました。
といっても今でもそれほど味覚が鋭いわけでもグルメでもなく、「おじいちゃんが作ったお米」「おじいちゃんから送られた新米」というだけで世界一おいしいお米だと感じていたのだと思います。
いえ、本当においしかったのですが。


先日の、稲の香りの記事を書いていたら、またまた今度はお米に関する回想にひたっていました。
ということで、しばらくお米に関するとりとめもない記事が続くかもしれません。



小学生の頃に、「古米」「古々米」とか「米余り」あるいは「自主流通米」という言葉がニュースでよく使われていました。


たしかお米屋さんに行っても、今のように産地や米の銘柄が書かれているのではなく、「一等標準米」「二等標準米」といった分類で販売されていたように記憶しています。
買い物に行っても、お米屋さんの店先というのは今のような多種の商品のにぎやかさはなく、精米機と米の入った袋がどんと置かれている、工場のような雰囲気でした。


中学生か高校生ぐらいの頃、1970年代から「米余り」「減反政策」がニュースで伝え始められていました。


父の面会に行く途中の風景も、水田だったところの半分近くが放置されていたり畑に変わっています。


この記憶は何年頃のどういう時代背景だったのだろうと気になり、Wikipedia食糧管理制度を読んでみました。


「米の自給率が100%を突破した1967年以降は過剰米(コメ余り)が出始めた」
「1969年には消費者の嗜好も考慮し自主流通米制度を発足させ、一部の良質な米に限り政府を通さず直接卸売り業者などへ販売することを認めた」


なるほど、私が小学生になる頃にお米が余り始めたのですね。
減反政策には「1970年から本格的に生産調整に入った」と書かれています。
八郎潟の入植については、たしか小学生の頃に国の誇れる干拓事業として習った記憶があるのですが、すでに時代は変化し始めて当初の米増産の計画を見直されていたということのようです。


当時、祖父はまだ現役で水田を維持していましたから、どのような思いでこの時代の変化を受け止めていたのでしょうか。


その後、1972年には「消費者米価が自由化」、1981年には「食糧管理制度が全面改正」そして1990年に「自主流通米入札制度開始」となり、現在のように店頭には多種の産地や銘柄の商品が並び自由に購入する時代になりました。


ところで、私の母は若い頃から少しぽっちゃり体型でした。BMIにしたら30を越えているでしょうか。
子どもというのは、無邪気に相手にグサッとくる一言を言ってしまうものですが、私も子どもの頃に母に「なんでお母さんは太っているの?」と聞いた記憶があります。


返ってきた答えは、「戦争中にはお米をお腹いっぱい食べることを夢みていたの。戦争が終わってからおいしくてご飯をたくさん食べたの」というものでした。
もちろん事実もあり、言い訳もありといったところでしょう。
でも農家であっても十分に食べることができない時代があったことは、子ども心に刻まれました。


そして、つい最近、母と祖父の思い出話をしている中で初めて聞く話がありました。
母が結婚した1950年代半ばには、「米作農家の場合、嫁に行った娘に対しては一定の米を無料で送ることができる」というもので、父の給料も少ない中で祖父から送られたお米で本当に助かったそうです。


どんな制度だったのだろうと検索してみましたが、よくわかりませんでした。
どなたかご存知の方がいらっしゃったら、是非教えてください。



「お米をお腹いっぱい食べたい」という望みが急速にかない、そして反対にお米が余ってそれを始末しなければいけなかったり、せっかく作り出した水田を放棄しなければならなくなった。
その激動の時代を私は生きていたのだと、またまた知らないことがたくさんあるままに過ごしてしまったことの重さを感じるのです。





「米のあれこれ」の記事のまとめです。

2. こんなに米の種類があるのか
3. もち米や黒米
4. 1993年米騒動
5. 米粉とさまざまな調理法
6. ゆかりと梅干し
7. 干拓の歴史
8. 八郎潟
9. 水田の風景
10. 麦秋
11. 稲
12. 東北の米づくり
13. 水田は健在
14. もち米のお菓子
15. 中海・宍道湖の干拓
16. 米原市琵琶湖干拓資料館
17. 倉敷周辺の島々と干拓地
18. 田植えの時期を見逃した
19. 「5年ぶりに田植え再開」
20. 収穫は奇跡
21. お月見と団子
22. 邑智潟の干拓の歴史
23. 外郎
24. 田植え直後の水田の風景
25. 「一世代に一干拓」
26. 諫早干拓資料館
27. ウルグアイ・ラウンドと用水路
28. 「日本の干拓地と手法」より
29. 児島湾干拓資料室