帝王切開について考える 25 <帝王切開の入院期間の移り変わり>

私が助産師になった1980年代終わり頃から90年代を思い返すと、帝王切開での入院期間が半分になりました。


その間に3カ所の総合病院で働きましたが、最初の施設では入院期間が2週間でした。
経膣分娩のお母さんたちの入院期間は1週間でした。


だんたんと入院期間が短くなって、帝王切開が10日間、経膣分娩が6日間になり、最近では帝王切開でも1週間、もっと早い施設だと数日ぐらいというところもある話を耳にして驚いたこともあります。


経膣分娩の場合、初産婦さんであれば当時の1週間の入院というのは、お母さんの体力や傷の痛みなどからもだいぶ回復しますし、赤ちゃんの世話にも慣れる頃です。また赤ちゃんも多くの場合に黄疸の時期を過ぎて体重増加期に入りますから、私たちも安心して退院してもらえました。


経産婦さんになると上のお子さんのことも気になりますから、当時も1週間の入院については「早く退院できないですか?」と希望される方は時々いらっしゃいました。


それだけ、初産婦さんとは分娩経過も産後の回復も違うことは、「初産と経産」「初産と経産、続き」「初産と経産の違い」「経産婦さんの赤ちゃんー哺乳瓶のような飲み方」、そして「傷の痛み」あたりで書きました。


そのうちに経膣分娩の場合、初産婦さんは6〜7日目退院に、経産婦さんはそれよりも1日早い退院に変化しました。


ただ、帝王切開の方は初産・経産による違いはなくて、私が勤務した施設では1990年代には10日ぐらいの入院に短縮されていました。
理由のひとつには、保険会社の医療保険の給付が、当時は14日以上の入院が必要な手術とされていたものが10日になったということもあったと思うのですが、記憶はあいまいです。


ケアをする私たち側も、産後10日もするとほとんどお母さんたちに赤ちゃんを任せて大丈夫なくらいになりますから、「2週間の入院は長いよねえ」ぐらいに受け止めていました。


<病床削減、差額室料と入院期間の短縮>


1990年代終わり頃になると、さらに入院期間の短縮の方向に進みました。
看護管理に「ベッドコントロール」という言葉が聞かれるようになったことは、「めまぐるしく変化する医療体制と看護の方向性」に書きました。


自費医療の分娩を主に扱う産科病棟にもこの影響は大きくのしかかり、空きベッドをつくらないために他科の軽症の患者さんを受け入れざるを得なくなりました。


もうひとつ、1990年代になると快適性も重視した新しい病院に立て替える施設が増え、入院費に差額ベッド料金が加算されるようになりました。それまでは「大部屋」で差額料金がいらなかった4人部屋でも差額ベッド料金をとれるようになりました。
帝王切開は保険入院ですが、入院期間が長くなれば差額ベッド料金で数万円から10万円の負担が増えることにもなりますから、このあたりでも入院期間の短縮が必要だったのかもしれません。



<産科施設の集約化と入院期間短縮の加速化>


2004年の産科崩壊という言葉が出た頃から、残った分娩施設にお産が集中し始めました。
分娩が重なると満床以上になることもあり、しかたがないのでお産が終わってからも陣痛室にいていただいたりしながらやりくりしています。


保険入院を対象にする医療監査であれば、「病室以外への入院」や「病室の定員超過」あたりにひっかかりそうな状況が日常的に起きています。


できるかぎりそうした状況をなくすために、2000年代半ばに入ってからお産での入院期間が一気に短縮されました。
それまで6日入院だった経膣分娩も4〜5日程度になり、帝王切開も10日だったものが1週間以内の入院期間になりました。


ただこれは私の経験範囲内の話であって、全国の分娩での入院期間がどのように変化し、それがお母さんたちの産後にどのような影響を与えているかについての資料があるかどうかもわかりません。


でも、あまりに変化の大きい四半世紀だったなあと、改めて思い起こしています。
帝王切開の方の入院期間が、半分になってしまったのですからね。