帝王切開について考える 29 <助産師が帝王切開で出産すること>

1990年代に東南アジアを行き来していた頃、助産学生だった現地の友人と出会いました。


彼女は、その国の内戦が続く地域での国内難民として物心ついた頃から暮らしていました。
しかも彼女たちは「反政府ゲリラを支援する側」の少数民族とみなされていましたから、教育や就業の機会も厳しいものでした。


その地域を支援していたキリスト教や海外の援助団体のスタッフが、彼女を住み込みで家事をしてもらうことで進学のための支援をしていました。


ちなみに、日本では看護師の教育課程をとってから助産師になるので最短でも4年間必要ですが、その国では高校を卒業したあと2年間で助産師になります。
「アメリカの医療を支える海外からの医療従事者」に書いたように、その国では大学教育だったので看護師は女性の中でもエリートでした。


初めて彼女と出会ってから1年ほどで、無事に彼女も助産師になりました。
「地域の保健医療を守りたい」という強い動機が、彼女を支えていました。
「地域」というのは、国内難民になっている多くの同じ状況の人たちを指していました。健康保険もなく、医療のシステムからはずれてしまっている状況にある人たちです。


そしてさらに2年ほどたったところで、「私のクリニックを開いたから、是非見に来て欲しい」と手紙が来ました。


郊外にできた彼女のクリニックは、8畳ほどの小さな部屋にベッドと血圧計があるだけの質素なものでした。


そこを拠点にして彼女はあちこちの村を周り、妊婦さんだけでなく村の人たちへの保健指導をし、健康相談を受けていました。
給与といっても、こうした保健活動を支援する海外からの資金援助団体からのわずかなものでした。


4年制の大学教育で看護師になった人たちが海外へ流出しているその国の医療のほころびを、こうした2年間の教育を受けただけの助産師がなんとか支えているのかもしれません。


しばらくして、彼女が妊娠し出産したという便りがありました。
微弱陣痛で何日間か苦しんだあと帝王切開しかないと自分で判断して、いつも彼女の保健活動に協力してくれていた医師のところへ行き、無事に緊急帝王切開で出産したとのことでした。


その帝王切開には、彼女の年収以上の支払いをしなければなりませんでした。
彼女の姉妹が 海外に出稼ぎに行っていたので、支払う目処がついたのでした。


微弱陣痛で苦しむ間、「この赤ちゃんをあきらめるか。それとも借金をして帝王切開を受けるか」ということにも苦しんでいたことでしょう。
そして彼女が血圧計だけを持って村をまわりながら出会った、医療にかかることができない妊婦や家族のことを思い出していたのかもしれません。


このところ、帝王切開についての記事を書き続ける中で、ずっと彼女のあの帝王切開を思い出していました。


ちょうどそんな時に、第11回ICMアジア太平洋地域会議・助産学術集会が開催された様子が、看護協会のニュースにありました。
ICMというのはこちらの記事で書いたように国際助産師連盟のことです。


そして「世界の動向をどのように伝えるか」で紹介したように、世界中の周産期医療の実情は国や地域によってさまざまであり、 ICMの大会や会議というのは、日本の周産期の歴史の中の明治から現代までの助産師がまるで一同に会したかのような様相ではないかと思います。


その大会のスローガンが「すべての妊産婦と赤ちゃんに助産師のケアを」というものでした。


いえ、それも悪くはないのですが、私の友人の帝王切開を思い出すたびに、すべての妊産婦と赤ちゃんに必要なのはまずは医療システムではないかと。
それが日本がICM大会で誇れる最も大きなことだと思えるのです。