今日のタイトルのことわざですが、最初に知ったのはいつ頃だったかは全く記憶にないのですが、大人になってからこのことわざを印象深く思い出す場面が記憶に残っています。
20代だったか30代のだいぶ前のことです。
たしか、病院スタッフに対していろいろと苦情を言う御家族がいらっしゃって、精神的に参っていた同僚がボソッと「坊主憎けりゃ袈裟まで憎いわよね」とこぼしたのでした。
もちろん、患者さんにはきちんと対応していた同僚ですが、ちょっと堪忍袋の緒が切れたという感じだったのでしょう。
その時の詳細は忘れてしまったのですが、このことわざはけっこう人生でも大事かもしれないと心に残ったのでした。
<動物には罪はない>
そのことわざとともに思い出すのが、父が子どもだった私に言ったことです。
ちょうどカンカンとランランという2頭のパンダが上野動物園に来た1972年だったのではないかと思います。
テレビでは連日のように、このパンダを見ようと行列ができている様子やパンダのニュースが放送されていたように記憶しています。
そのパンダの映像を見て父がこう言いました。
「よく見てみなさい。目の周りの黒い色でわからないけれど、ずる賢い目をしている。中共から来た動物だからな」と。
子ども心にさすがに「お父さん、それはないよ」と思った記憶が残っています。
それ以来、パンダを見ると「かわいい」という感情の前に、この場面が思い浮かんでしまうのです。
それから10年ほどして、私に「イデオロギーに入り込むな」という貴重な人生訓を伝えてくれた父ですが、当時も父は「反共」であり、中国とは言わずに「中共」と呼ぶぐらいのイデオロギーを持っていました。
そうそう、「相棒」に出てくる課長さんがパンダのカップを使っていましたが、あのカップをみるとストーリーに集中できなくなって、父のパンダへの感情を思い出してしまいます。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
坐禅の修行をしていた父ですから、当然、このことわざは知っていると思うのですが、国が憎ければその国から来た動物まで憎らしくなってしまう感情の不思議さですね。
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