秋され

先日の父の面会の日は、雲ひとつない秋晴れでした。


ローカル線は平日ということもあってガラガラで、先頭車両の一番前に座りました。
ススキの穂に囲まれた線路が山の中へと入って行き、鉄橋やトンネルを抜けながら、山里の秋の風景が次々と現れてくるのを眺めていました。


抜けるような青い空に、山々の稜線がくっきりと見えていました。


なんという幸福感でしょうか。


9月の終わり頃にはまだ稲刈り前の田んぼも残っていましたが、今週はすっかりなくなっていました。


紅葉にはまだ早く、でも少しだけ黄色みをおびた木々の色に変わっていました。
線路脇や家々の庭の花が少ない時期ですが、柿やみかん、あるいはセイタカアワダチソウの黄色が秋の日差しを受けてとても鮮やかです。


あーすっかり秋になった!」と電車を降りたのですが、期待したほどは秋の香りは感じません。
病院への雑木林を歩いていても、むしろ9月の方が色々な香りがありました。


10月というのは、案外、香りがない季節なのかもしれませんね。


この時期の「秋」をどう表現できるのだろうと検索したら、俳句の季語集を見つけました。


直接リンクできないのですが、秋を表現する言葉ってこんなにたくさんあるのですね。


その中でも今の時期だと「秋の野・・・秋の野原、花野(はなの)というほどには花は咲いていない」あたりでしょうか。
先週まではまだ「花野・・・秋草の花が咲き乱れた野。白や黄、紫などの可憐な花が多い」という言葉が使えたかもしれません。


そして秋晴れの日が続き、湿度がぐんと下がった今週は、「秋光・・・秋の日光の明るさを籠(こ)めて、至る所で見せる澄明な日差し」という表現が、まさにそんな感じです。



父が暮らしている地域は、春が一気にやって来て幻想的な風景になるように、秋もまた駆け抜けていくようです。
先日はもうすっかり秋の風景になっていましたが、「秋され・・・風物すべてが秋らしくなった」という言葉があることを初めて知りました。


次に行く時には、もう晩秋の風景になっているのでしょうか。