乳児用ミルクのあれこれ 36 <「ミルクの品質向上が離乳法を変えた」>

少し間があきましたが、「母乳が足りなくても安心」(二木武・土屋文安・山本良郎氏、ハート出版、平成9年)という本は調整乳反対キャンペーンと対になった母乳推進運動の行き過ぎに警鐘を鳴らすための本であったのではないかということを書きました。


というのも、この本にはミルクの改良についてだけでなく、哺乳瓶で飲むときの吸啜(きゅうてつ)のメカニズムについてと離乳食についてもかなりのページをさいています。


1997年頃の日本の市中病院ではごくたまになかなか乳首に吸い付きたがらない新生児がいても、その理由を哺乳瓶と人工乳首を使うことによる乳頭混乱とする考え方が出てくるとは思いもよらなかったし、まさか「インプリ(刷り込み)しました」というスタッフが出てくる時代が来るとも思いませんでした。


あるいは、それまでの乳児の成長発育段階に合わせた離乳食に対して、母乳栄養を中心に考えた「補完食」という言葉まで生み出されるとは想像もしていませんでした。


おそらく、この著者らはすでにそういう言葉が跋扈している世界の母乳戦略を肌で感じる立場だったのかもしれません。そして日本も同じようにしてはいけないと、この本を書かれたのではないかと。


今回はその中でも、離乳について1960年代前後の様子がわかる部分をご紹介しようと思います。




<「ミルクの品質の向上が離乳法を変えた」より>


「補完食」という言葉が出て来たことについて、「離乳食と補完食」という記事で、途上国で生活した経験から以下のように考えていたことを書きました。

貧困層の方々が大半を占める国では、授乳期の赤ちゃんは栄養状態がよく、離乳期に入ると栄養不良になっていくことがあります。わずかの食品を大家族で分け合っている状態では、小さなこどもほど分け前が少なくなっていくからです。ですから、2歳頃までは母乳をあげましょうというのは良い方法だと思います。「母乳の補完食」と書かれていますが、実際には「離乳食の足りない分を母乳で補う」というのが実態です。

冒頭の本の「離乳期の発育向上を促した」(p.155~)には、まるでこの途上国の離乳食事情かと思うような日本の昭和30年代の話が書かれていました。

 昔は乳児の発育、栄養状態は著しく不良で、これが急性消化不良症を初めとして多くの病気の誘因となり、高い死亡率の原因となっていました。人工栄養と離乳法の不備にその理由が求められました。人工栄養児にくらべて母乳栄養児の発育段階は良好でしたが、それでも離乳の開始の遅れを招きました。当時は満1歳での開始がごく普通で、昭和30年代でも7ヶ月開始でしたから、結局、離乳期の栄養状態は悪くなりました。また、母乳栄養とはいいながら、実際にはその中に母乳不足がかなり含まれていたのではないかと推測されるのです。その理由は、発育成績が現在の母乳栄養児の発育状態に比較すると劣るからです。


この文章の中で離乳食について「当時は満1歳での開始がごく普通で」と書かれていることに、「あれ?」と思いました。
むしろ、「日本の混合哺育」に書いたように、もっと早い時期からの「混合食」が実際に行われていたと認識していたからです。


ただし、現在の「母乳」「混合」「人工」栄養の定義が不明確であるように、当時は「混合哺育」と「離乳食」の境界もあいまいだったのかもしれません。
お母さんたちはそこまで細かい定義を考えて育てる必要はないし、こちらの記事で紹介したように、このような質問調査の不備としてどちらもしているのにどちらか一択しかなかったり、質問者の意図を推し測って答えてしまうこともあるでしょう。


さて、離乳期までの乳児の感染症「哺乳瓶病」として調整乳反対キャンペーンの理由として使われましたが、同じ状況でも違う解釈ができたのではないかと思われる以下の内容が書かれています。


 乳児の栄養状態は昭和30年代を境として、それ以前は不良でしたが、以降は急速に向上したのです。
 人工栄養は昭和30年頃から、それまでの牛乳から徐々に粉乳が主流となってきて、その粉乳が、いわば日進月歩の勢いで改良・進化して、昭和30年の中頃には、現在のミルクのほぼ原型ができあがりました。これにより人工栄養児の発育は向上し、母乳栄養児と遜色がなくなりました。

ちょうど、私たち50代の世代が子どもだった頃です。


 授乳期と同様に離乳期の乳児の栄養状態も昔ほど不良でした。人工栄養と離乳法の不備、または母乳不足によるものでしたが、ミルクの進歩とともに向上してきて、昭和40年代以降は不良の現象はほとんどなくなりました。離乳期栄養不良という、それまでの常識があまり通用しなくなったのです。完全栄養食品であるミルクさえ十分に与えられれば、たとえ母乳不足でも、離乳の勧めかたが不良でも、発育に必要な栄養は十分にとれることになるからです。現在はもちろん、離乳期は栄養不足という発想はまったくありません。

 さらに離乳期は急性消化不良症が多く、またこれが重症の消化不良性中毒症に発展し、死亡しやすいとされました。当時は、乳児の三大死亡原因の筆頭に急性消化不良症があげられていましたが、そのほとんどは離乳期に起こったものです。これも栄養状態が向上するにつれて減少してゆき、近年は離乳期だから消化不良になりやすいという傾向はまったくみられません。消化不良が多かった頃は、栄養不足と密接な関係があり、そのため抵抗力が弱かったのでしょう。これはいろいろな細菌の感染を受けやすかったことを意味するわけですが、当時の環境衛生の不良とも大いに関係があり、たとえば冷蔵庫もなく、食品の衛生や保存法が不良で、細菌の汚染度が高かったと想像されます。離乳中にみられた下痢症の原因は、当時は離乳食が不適当なためと考えられていたのですが、本当は細菌感染、感染が原因と考える方が的を得ているでしょう。

私が生まれた頃の日本のことを書いていますが、1980年代に暮らした途上国の生活そのものです。
でも私には生まれ育った時代の記憶はないので、当時、「途上国ではミルクで乳児が死亡する」という調整乳反対キャンペーンを一部信じてしまいました。


母乳か混合か、さらに離乳食か混合食かの境界もあいまいな世界中の育て方を見えれば、「粉ミルクと哺乳瓶・人工乳首が原因」というのはあまりにも単純化したものだと、今は思うのですけれどね。


この本の著者の方々は、昭和30年代に小児医療やミルクの開発研究を実践されていた方々で、それまでの時代を記憶されている世代ともいえます。
1970年代以降の調整乳反対キャンペーンと母乳推進運動が、あまりにも歴史と現実を知らない運動だと危機感をもたれてこの本を書かれたのかもしれません。




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