ケアとは何か 14 <やりがいという麻薬>

ケアには「重荷としてのケア」さえも「やりがい」になる、一種、麻薬のような作用があるのかもしれません。


「帝王切開をしたお母さんの退院後のニーズと助産ケア」という「助産雑誌」に掲載された記事の中では、元の調査のタイトルは「帝王切開分娩の母親に対する看護ケアに関する調査」と書かれています。


調査のタイトル通り「看護ケア」のほうが、周産期施設で働く看護師さんたちも使える汎用性の高いものになるのに、なぜあえて「助産ケア」に言い替えているのだろうと気になりました。
すみませんね、小さいことが気になるものですから。


その記事を読み進めていくと、「退院後の母親の不安を軽減するために」の箇所でその意味がわかるような部分がありました。

帝王切開のお母さんには「私の助産師さん」がいない?


 多くの施設では、分娩を介助した助産師が「担当助産師」となり、退院まで母子を受け持ち、必要であれば退院後も継続ケアを行います。では、帝王切開の場合はどうでしょうか?
 助産師が帝王切開分娩の介助のために手術室に入ることを「児受け」や「ベビーキャッチ」といいます。たしかに実際に児の娩出を行うのは医師ですから、的を得た表現かもしれません。しかし、助産師の役割は本当に新生児を受け取ることだけでしょうか。違いますよね。

 助産師は、帝王切開を受ける産婦の準備を行いながら産婦の心理を思いやり、かつ児の出生の準備や出生直後のケアをし、母子の早期接触をサポートしているはずです。とくに緊急帝王切開の場合には、産婦への思い入れも強く、産後も母子の経過を気にかけ、その日の自分の担当とは違っても母子の様子を見に行き、お母さんに声をかける助産師もいることでしょう。
 その一方で、助産師は「予定だったから児受けしかしていない」「経産婦さんで手術も2回目だったし、とくに何もしていない」と思ってしまうこともあります。これは実際にその通りだったのかもしれないし、意図せずともさりげないケアを行っているがゆえにそう思ってしまうのかもしれません。いずれにしろ、このような助産師の認識は、術後の積極的な母子との関わりの障壁となり、帝王切開互のお母さんの寂しさを助長することになりかねません帝王切開であっても、助産師(あなた)が介助した分娩、そしてお母さんにとってはその助産師(あなた)が「私の助産師さん」になるということを意識してほしいと思います。

んー、このあたりも助産師の世界に感じる違和感ですね。


もちろん、看護師も患者さんのケアをすることで「やりがい」を感じる場面は多いでしょう。
また新人から一人前ぐらいの段階では、受け持ち患者さんを持つことで患者さんの全体を把握したり継続性を学ぶ機会になると思います。


ただ、看護師の世界だと「看護ケア」に看護師自身のやりがいが目的化されることはほとんど見かけないのですが、なぜか助産師はやりがいが目的になる記述が多いですね。


こちらの記事上野千鶴子氏がその本を書くにあたって、メアリー・デイリーらの「ケアの定義」を採用したということを紹介しました。

依存的な存在である成人または子どもの身体的かつ情緒的な欲求を、それが担われ、遂行される規範的・経済的・社会的枠組みのもとにおいて、満たすことに関わる行為と関係


相手を満たすことで自分も満たされていることに自覚的にならなければ、やりがいが目的になりやすいケアという行為の落とし穴とでもいうのでしょうか。


「ケアはニーズのあるところに発生し、順番はその逆ではない」
まさに、そのあたりがねじれてしまった印象ですね。





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