思い込みと妄想 24 <子どもの「未病」対策?>

m3.comの配信記事に、「あ〜あ」という記事がありました。


「未病」共同で対策へ 九都県市首脳会議


 首都圏の知事や政令市の市長でつくる「九都県市首脳会議」が9日、千葉市内で開かれ、病気の前段階である「未病」について、食生活や運動習慣など子どもの未病対策を共同で取りくむことを決めた。
 黒岩祐治知事は、食生活の乱れによる集中力の低下、外遊びの減少による運動不足などで将来の未病リスクが子どもに高まると指摘。「子どもが多く、発信力の高い九都県市から対策を進めるべき」と訴え、普及啓発やシンポ開催など共同の取り組みを求めた。
 賛同の声が上がる一方、川崎市の福田紀彦市長は趣旨には賛同しつつも、県外での「未病」を使うことに「概念や言葉が浸透していない。『未病って何だ』と、どきっとしてしまう。首都圏全体で聞いたこともないのでは」と心配の声を上げた。黒岩知事は「確信的に未病という言葉を使っている。子どもの未病って何だ、というところから始めることが大事が」と強調した。


 会議では横浜市が生活困窮者などへの自立支援策を重層的・安定的に実施するため、人口規模に応じた財源措置の上限撤廃や子どもの学習支援の法定補助率引き上げの要望を提案。川崎市は子どもの貧困対策と未然防止に向け、九都県市共同で学習支援や若者の自立支援などの情報共有と、切れ目のない取り組みを検討すべきと求めた。相模原市は英語教育充実について、小学校英語専科教員の教員配置に対する支援や外国語指導助手(ALT)の配置への財政支援を国に要望した。
 東日本大震災から5年目の節目を迎える来春には福島県内での開催も決めた。

2015年11月10日(火)配信 神奈川新聞
(強調は引用者による)

本当にどきっとしますよね。「子どもの未病」って。


「未病」という言葉は養命酒の宣伝で使われていて、ずっとひっかかっていました。
ちょっと検索するだけで、医学的な言葉ではないことがわかります。


<「未病」とは何か>


たとえば日本未病研究学会というサイトに、「当学会における未病とは」としてこんなことが書かれています。

 「未病」という言葉は日本語にはありません。広辞苑、現代用語辞典、イミダス等にも掲載されておりません。当学会を法人で設立登記する為には、法務局に申請を受理してもらわなければなりません。法務局の登記官は「『未病』を名称にする事は構わないが、目的の中に使用しないで欲しい。未病は、日本語ではありません。登記は日本語でなければできません。」と説明してくれました。当学会設立準備委員会では大変に困窮して
・・・未病(病気が発症していない予備軍)・・・
と後ろにカッコ書きする事で登記官の了承を得ました。従って、未病の意味はカッコ書きの中の説明では十分では有りません。登記法の解釈の結果で導きだされた表現です。

 そこで当学会では、未病とは「健康状態の範囲であるが病気に著しく近い身体又は心の状態」を言うと一応定義いたします。
(中略)
 ただし、未病の概念はまだ確立されておりませんのでここでの未病の説明が絶対であるとご理解頂きたいと存じます。


「未病」そのものが日本語でさえないようです。


<誰がこの言葉を使い始めたのか>


「未病」という言葉を日本に広げたらしい人のサイトがありました。
未病医学研究センターの「未病について」に以下のように書かれています。

これは、2000年以上前に記された中国古来の医学書『皇帝内経』の中の言葉です。発病前、つまり未病段階での治療がいかに大切かということが、漢方の世界では古代から受け継がれてきました。


すでに日本でも、未病という言葉は定着したといえますから、この考え方に頷かれる方は多いでしょうが、私がこの言葉を新聞や雑誌で発信し始めた約20年前、未病に対する理解度は非常に低く、「みびょう」ではなく「まつびょう」と読む人も少なくない時代でした。


ここを読むと、「未病を治す」ということは予防医学や「病気を発症前の段階で食い止める」という解釈だけではないそうです。

さらにいえば、「未病を治す」という考え方は、身体を超えて、さまざまなジャンルに役立ちます。親子の関係、夫婦の関係、会社経営から政治や経済にいたるまで、何事も大きく乱れる前、つまり「未病」の段階で手を打つことが重要なのです。

アンチエイジングだけでなく、人生のさまざまなことへと広げられる考え方のようです。
よく読んでも理解できませんでした。


このセンターの対談実績には、黒岩知事との対談についても書かれています。

 健康な長生きは、人生にとって最大の願いでもあります。未病と未病を同一線上にとらえて、命輝く社会の構成をめざす黒岩知事の「未病哲学」が、いかんなく披露された注目の対談となりました。


このあたりが「確信的に未病という言葉を使っている」ということなのでしょうか。


やっぱり「発信力が高い」とか「発信する」という言葉には警戒してしまいますね。


ところで、本当にこの会議では「『未病』共同で対策へ」という方向になったのでしょうか?
だとすれば、一県知事個人の信念で物ごとが決まるプロセスに疑義をもつのが報道の役目のような気がするのですけれど。


このニュースは誰のためのニュースなのでしょうか。




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