東京オリンピックとゴミ箱

1964年に開催された東京オリンピックは、当時幼児だった私にはあまり記憶にありません。
記憶にあるかのようなシーンは、おそらく何度もテレビでその映像をみてつくり出されたものなのではないかと思います。


私にとって東京オリンピックと聞いて思い出すのは、ゴミの収集です。


Wikipedia東京オリンピック開催が日本にもたらした影響にこんなことが書かれています。

「ゴミ都市」と呼ばれていた東京に、都の主導でゴミ収集車が250台導入され、また積水化学製のポリバケツが普及した。


私のアルバムの中に、母にまだ抱っこされていた頃の写真があって、その背景にコンクリート製のゴミ置き場が写っています。
東京オリンピックを機に、このゴミ箱が撤去されたことを成人してから何かの本で読みました。


「新田太郎 戦後ニッポン 『ものづくり』流行史」というサイトの「オリンピックとプラスチック〜『ポリバケツ』」にその積水化学のポリバケツの写真と経緯がありました。


ニューヨーク市清掃局次長が1960年に来日し、ゴミの分別収集などを提言したとあります。


「3. ゴミ容器の普及」では、その変化を当時の人がどう受け止めていたかがわかる座談会の記事があります。

それでね。ゴミ箱も今までのようにコンクリート製で街の中においとかないで、あれを自分の家の中に入れるくふうをするんですって。5人家族で三日ぐらい使える大きなタンクをおいといて、それを随時日を決めて街角へ出して、それをトラックが取りにくるようなシステムにするんですって。


このゴミ箱が撤去された後の東京の変化は私には記憶がないのですが、幼稚園の時に転居した地方の官舎にはまだこのコンクリート製のゴミ箱がありました。
曜日に関係なく、どんどんと投げ入れていたのだと思います。このゴミ箱の周辺はとても不快な臭いが漂っていた記憶があります。


私が住んでいた官舎の前にはちょっとした森があったので、その周辺の家で出た生ゴミはその森に投げ捨てていました。
それは子どもの役割でした。
今考えると、あり得ないですね。


まだあの頃はゴミ収集は行政の仕事ではなく、民間の業者が行っていたのでしょうか。
そしてわずか半世紀前ですが、ゴミに対する社会の意識は本当に低かったのだと思います。


おそらく、東京もオリンピック前のゴミ箱の周辺は悪臭で汚かった事でしょう。
私が生まれた頃は、東京が「ゴミ都市」と呼ばれていたことにちょとめまいを感じています。


あの東京オリンピックのために交通網のようなインフラ整備が急速に進み、カラーテレビが普及するなど社会を大きく進歩させるきっかけになったようですが、もしオリンピックが開催されていなければ東京のゴミ収集システムはどんな状況になっていたことでしょう。


オリンピックについてはいろいろと思うことはあるのですが、なかなか変えられない部分が一気に変化していく機会ではありそうです。