葛西水族園でマグロを見ていた時のこと、背後で懐かしい言葉が聞こえてきました。
私が居候させてもらった東南アジアのある地域の言語です。
日本でいえば標準語に対して方言の位置にある言葉です。
1年ほど住んだだけなので、その言葉をしゃべれるほどには上達しなかったのですが、なんとなく会話を理解できて片言なら話すことができる、幼児のレベルでしょうか。
今はすっかり忘れてしまったと思っていたのですが、その人たちの会話がわかってしまいました。
「わあ、魚だ!おいしそう!」
「まったく、すぐ食べることを考えるんだから。あとでレストランに行けば食べられるよ」
日本人も変わらない会話をしているので、プッと笑ってしまいました。
しばらくして、そのグループとペンギンのところで一緒になり、また会話に耳がいってしまいました。
「あれは鳥なの?魚なの?」
と尋ねていました。
30代から40代ぐらいでしょうか。そうですよね、子どもの頃は独裁政権下で動物園や水族館で楽しむこともできないような時代だったし、経済的にも今よりももっと余裕がない時代だったのだから、ペンギンを知らない人も多いのかもしれないとしんみりしてしまいました。
<異言を理解する>
言語といえば、新約聖書に書かれている異言を思い出します。
私自身は海外で生活したり医療援助に参加したけれど、英語もなんちゃってのレベルですし、現地の言葉の習得も中途半端に終わってしまいました。
でもこの水族園の時のように、「その地域のこと」あるいは「その分野のこと」なら、おおよその見当がつく程度に理解できることがあります。
知識としての言語で表現できること以上に、実際に知ったり体験したことがあるからなのかもしれません。
反対に、日本語(標準語)で話したり書かれたりしていることなのに、まったく頭の中にも気持ちにも入ってこない言葉もあります。
「異言」というのは、単なる「外国語」の意味ではない、もっともっと何かがあるのかな。
そんなことをこうした「なんとな〜く伝わる」体験のたびに考えています。
それにしても、懐かしいあの地方の言語をもう一度勉強してみたくなりました。