世界はひろいな 34 <野菜炒めは万能!>

1980年代から90年代にかけて通算3年ほど暮らした東南アジアの某国ですが、首都近郊のレストランの食事はあまり口に合いませんでした。
高い割には食指がすすまないというか、高いから気取りすぎているのかもしれません。



どちらかというと、遠く離れた地域の市場などの食堂のほうが、地元の人が食べているおいしい食事に出会えました。


首都近郊で食事をする時には、いつも野菜炒めを頼んでいました。
メニューに「野菜炒め」があることに、まず驚きました。
日本では中華料理屋店なら見かけることもありますが、どちらかというと家庭料理という感じです。
その国では他のメニューに劣らないぐらいの値段であることも、ちょっと驚きました。


でも、野菜炒めがあって助かった〜という感じです。
そしてはずれはなくて、だいたいどこの店でもおいしく食べれました。


タイを旅行した時にも、変哲もない野菜炒めに助けられました。
タイ料理は美味しいのですが、時に「普通の食事」もしたくなります。
そんな時に、だいたいどこのお店でも野菜炒めがありました。


当時、一緒に生活をしていたアメリカ人の友人はわざわざバジルとローズマリーを持参していて、野菜炒めをつくる時に入れていました。
これが私の初めてのバジルとローズマリーを使った料理になるのですが、それまでの野菜炒めともひと味違う美味しさになり、帰国後もしばらくはバジルとローズマリーに凝りました。


野菜炒めはどの国でも受け入れられ、いろいろとバリエーションを受け入れる懐の広い、そして奥の深い料理だなあと思っていたところに、ウー・ウエンさんの料理の本を見かけるようになりました。
いろいろな野菜を入れた方が豪華に感じていたのですが、たった1種類の野菜などで品よくおいしそうな野菜炒めがいくつも紹介されていました。


やっぱり野菜炒めの本場の中国だと妙に感心しました。
そして野菜炒めは国境を越え、民族を超えて愛されている「中国料理」だと思っていましたが、なんとWikipedia野菜炒めの説明には、「日本の家庭料理」と書かれています。


「日本人と野菜炒め」にはこんな説明が。

明治時代以前油脂は貴重品であり、それを不可欠とする炒めものは一般的ではなかった。明治から大正にかけて、西洋風の調理法が日本国内でも紹介されるようになると、バターを用いた炒め物を紹介する料理書が急速に増加した。しかし食用油は以前貴重品であり、油脂を大量に要する中華風の野菜炒めは当時の料理書にあまり掲載されていない。

ということは、「油脂を大量に使う中華風野菜炒め」がやはり先にあったということでしょうか。

1920年代、ベンジン抽出法により大豆油の生産量が増え、食用油として広く一般的に普及したした。料理書の普及や女子教育の高等化などによって、大正時代には西洋料理が都市部で普及し、和洋折衷料理として一般的な食卓に取り入れられるようになった。大正末期から昭和初期には、(専門料理ではなく)家庭料理として、ジャガイモ・冬菜・ニンジン・ネギ・卵などを油で炒め、醤油・塩コショウ・味噌などで味をつけた料理が一般的に食べられるようになっていたことがわかっているが、一方で畑作地帯では「こんなおへだら(くだらない、変な)料理ばっかつくってんじゃね」と舅から叱られたとの記述も残っており、依然としてやや特殊な料理であったということも窺える。また当時の記録のおよそ半数は野菜・きのこ類(ナス・山菜・ゴボウ・葉物等)1種類のみでつくった炒めものであり、後に一般的となるもやし・玉ねぎ・ピーマンなどは使われていなかった。

「世界各国の野菜炒め」には中華料理は掲載されていなくて、インドのサブジインドネシアのチャプチャイについて書かれています。
私が東南アジアで食べたのは、このチャプチャイに近いかもしれません。


野菜炒めのルーツはどこなのでしょうか?




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