10年ひとむかし 9 <花粉症とつきあう>

そろそろ、春の花粉症の予想が気になる頃ですね。
ウエザーニューズの「2016年の花粉飛散傾向発表」を見ると、昨年夏の日照不足と8月後半の低温のために、今年は花粉の飛散量は少なさそうです。


私が花粉症になったのは1994年頃でした。
冬と春先にひどい「風邪」を引き、鼻づまりと咳、そして眼球結膜の浮腫まで起きるほどでしたが、自分では「風邪が長びいている」と信じようとしていました。
ひどい咳で肋骨あたりの痛みもあったので、「もし結核だったら勤務先にも迷惑をかけるので大変」と受診したところ、咳のしすぎによる肋軟骨骨折と言われました。


その年には、ちょうど冬と春先に杉の多い地域を訪れているのですが、それでも「花粉症」とは認めたくなかったのだと思います。


Wikipedia花粉症の「疫学」の「患者数」の記載にこう書かれています。

厚生労働省の調査によれば、現在、日本国民の約30%が花粉症であると言われる。1994年の花粉症を含めたアレルギー性鼻炎の調査では、その患者はおよそ1800-2300万人と言われた。


たしか、1994年は花粉症を発症した人が多かった年だったと思いますが、それでもまだ身近な人にはそういなくて、感覚的には数十人に1人という感じでしょうか。


その頃は、まだ眠気の強い第一世代の抗ヒスタミンしかなく、花粉症になった人たちは花粉が飛散し始めると、ゴーグルとマスクという徹底した防御策をとり、シーズン中は対症療法のために内科や耳鼻科に通院していました。


花粉症になったことを認めれば、そういう生活をしなければいけなくなることに、当時は耐えられなかったのだと思います。


「花粉症じゃないから」と、市販の漢方(よく成分を読めば抗ヒスタミン薬がメインだったのですが)を飲んだり、「花粉症に効く」というものをあれこれ試していました。
でも結局は2月になると鼻づまりに悩まされ、長期連用による副作用を怖れながら鼻炎用のスプレーでしのいでいるうちに、3月下旬にはよくなるはずの症状が5月連休ころまで続くようになり、スギだけでなくヒノキ、そして秋の花粉にまで反応するようになっていました。


2000年代に入って、眠気のでないというアレグラが発売されました。


その頃には、感覚的には数人から10人にひとりという感じで周囲にも花粉症という人が増えて、「病院で出してもらった薬ですごく楽になった」話もよく聞くようになったので、ようやく耳鼻科を受診したのでした。


シーズンが始まる少し前から内服を始め、ピークの時期の鼻閉には処方された点鼻薬を使うだけで、劇的に私の春のQOL(生活の質)は良くなりました。


早く花粉症を認めて、受診すれば良かったのですけれどね。


最近は、飲み忘れても以前に比べれば症状が出にくくなってきたのですが、これは加齢によってアレルギー反応が出にくくなったのだろうと勝手に判断しています。


2000年代の花粉症の時期には、まだゴーグルやマスク、そしてテイッシュを持ち歩いて本当に辛そうな姿をあちこちで見かけたのですが、最近はせいぜいマスクぐらいで花粉症の防御対策も軽装になった印象があります。


あと10年ぐらいしたら、花粉症も過去の病気になるといいですけれど。
花が咲き乱れる桃源郷のような美しい時期に、花粉症は気を滅入らせてくれますからね。





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