10年ひとむかし 11 <入院中の洗濯物>

私自身は入院したことがないのですが、日々、入院される方に対応しているなかで、もし私だったらこうして欲しいと思うことはなにか考えると、入院中の洗濯を心配しなくてよいことです。



寝衣に関しては基準寝具のひとつとして、「病衣(びょうい)」と呼ばれて貸し出されていますが、それ以外の下着やタオル類などこまごましたものがけっこうたまるものです。


入院患者さんの御家族が、1日おきとかに洗濯物をとりにこられる様子を見ると大変だなあと思います。
産科病棟で切迫早産の入院になると1〜2ヶ月以上の入院ですから、家族への負担も相当なものです。


なかには実家の手伝いもなく、夫が遅い時間にとりにこられることもあります。
これから家に帰ってたくさんの洗濯をして、また明日の早朝から夜遅くまで働いてから面会にこられるのだろうと思うと、なんとかならないかなあと心が痛みます。



入院生活という日常生活を整える看護の視点で遅れているのが、この入院中の洗濯物をどうするかということではないかと思っています。
家族で対応できない人がすでに増えている時代に、身の回りの世話をする看護職がその問題点に気づいていないことが問題を社会化できない一番の理由といえそうです。


こちらの記事上野千鶴子氏の文章を紹介しました。

私的な領域に閉じ込められているあいだは、誰もそれを「社会問題」とは認識しなかった。

たかが洗濯物、されど洗濯物。
それは自分が入院して初めて痛感するのかもしれません。


<基準寝具の時代へ>


それでも、こちらの記事で紹介したように、「入院時に煮炊き用の鍋、釜、七輪他、布団一式をリヤカーで運び込む姿からようやく解放された」という時代もそう遠い昔ではありませんでした。



基準寝具の外注委託が法制化されたのが1961(昭和36)年ですから、私が生まれた頃はちょうど過渡期だったようです。


クリーニングを扱う共栄産業という会社の「業界今昔物語」の「第9回〜病院基準寝具の進展」に、その当時のことが少し書かれています。


それから20年ほどして1980年代初頭に私が働き始めた国立系の病院では、やはり自前の洗濯場があってシーツや病衣等はそこで洗濯していましたが、患者さんの清拭に使うタオル類は各病棟で洗濯していました。


しかもまだ看護助手さんはいなくて、すべて看護婦の仕事でした。


全国にまだ3台しかないCTがあり、珍しかった集中治療室や透析まで完備した最先端の病院でさえ、私たち看護職が洗濯をし患者さんの汁物をよそっていたのですから、いやはや今では前近代的に感じますね。


1980年代終わり頃になると、患者さん用のタオル類の洗濯も外部委託が当たり前になっていきました。


入浴に使うバスタオルや下着などが、家庭での洗濯物になっただけでも、家族への負担は相当減ったことでしょう。


<何も持たないで入院できる>


1990年代になると入院している方へのアメニティにも目を向ける経済的な余裕が社会にできたことと、快適性が当然求められるようになったこともあって、自己負担でバスタオルの貸し出しをするところもありました。


産科だと、タオルやシャンプー・リンスなども込みで分娩費用を設定できましたから、また少し家族への負担を減らすこともできました。


数年前に、母の入院した病院が入院に必要なものはほとんど準備しなくてよいことに、同じ医療従事者ながら、ここまで進んでいるのかと驚きました。


タオル・バスタオル、靴下から肌着まで一式で、使った分だけ、一日数百円程度でリースするシステムです。
「え?肌着や下着、靴下まで?」と私にはちょっと抵抗がありましたが、実際に貸し出された物はきれいに洗濯されていて、母はあまり抵抗なく使っていました。
きっと母も家族への負担を考えると、気が楽だったのでしょう。


このシステムがなければ、私も新幹線で面会に行きながら、さらに院内のコインランドリーで2時間程度待つか家に持って帰って洗濯しなければならず、過労で倒れたのではないかと思います。


アメリカの病院だと入院患者さんの洗濯物を院内でクリーニングしてくれるようですが、お金を払ってもそうして欲しいという需要は日本にもあるのではないかと思うのですけれど。


リースにしても院内でのクリーニングにしても、洗濯を家族に依存しなくてすむようになると良いですね。


そして、大人も紙おむつに抵抗がなくなってきた時代ですから、下着(パンツ)は不織布で使い捨てのものができるといいなと思います。


さて、10年後の入院風景は如何に。





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