今年は暖冬のおかげで、キャベツや白菜が安定した価格で助かりました。
でも出荷時期が早まってこれからの時期に出荷量が減るらしく、ちょっと心配ですし、天候に左右される農業に従事している方は本当に大変ですね。
1年を通してかなり安定した価格で、いつも売り場で緑に輝いている野菜がチンゲンサイです。
味も淡白で飽きもこないし、野菜炒めやスープなどいろいろな料理に重宝します。
チンゲンサイも私が子どもの頃の1960年代にはまだなかったような記憶です。
いつ頃から食べ始めたのだろうと思い返してみるのですが、はっきりとした時期を思い出せません。
初めて食べたのは、もしかしたらジャスミンテイーと同じく、1970年代に入って、あの本格的な中国料理のお店だったのかもしれません。
日本のクワイとは違ってシャキシャキとした白クワイや、フクロタケといった中国野菜を初めて食べたのもこのお店でした。
Wikipediaのチンゲンサイの説明には、「日本には1970年代の日中国交回復の頃に入ってきたといわれる」と書かれています。
やはり、あの頃からボチボチと食べ始めていたようです。
Wikipediaでは「静岡、長野、埼玉などの主産地におけるハウス栽培の活用により、1年中市場に出回っている」とありますが、野菜ナビをみると、茨城県が1万1,700トン、27.66%を占めてダントツの生産地のようです。
丸果石川中央青果というサイトのチンゲンサイにはこんな説明が書かれています。
1972年、日中国交回復による中国ブームの中で種子が持ち込まれ、千葉県の農家が初めて栽培を行いました。その後JAが生産調整による水田の有効利用を目指し、青梗菜に注目します。
1年に8〜10回作れる生育の早さ、手軽さなどの利点があり、栽培面積も全国で急増しました。
たしかに千葉県のサイト「教えてちばの恵み」にも、「柏市で最初に栽培が確立されました」と書かれています。
へえ〜。
日中国交回復というと田中角栄首相と周恩来首相、毛沢東主席の会談とか、パンダがまず思い浮かぶのですが、チンゲンサイもそれを機に広まったのですね。
そしてよく耳にした減反政策のニュースの裏で、こうした新しい試みが広がっていった当時の農家の方々の雰囲気はどんな感じだったのでしょうか。
40年たって、栽培技術の確立と産地リレーという安定した流通のおかげで、真冬でも安価でおいしいチンゲンサイを食べられるようになったのですね。
チンゲンサイと日中国交回復。
歴史と記憶がまた少しつながりました。