気持ちの問題 19 <グレーゾーン問題>

物ごとにはグレーゾンがあることを意識したのは、ニセ科学の議論だったことを書きました。



ニセ科学」については、大阪大学菊池誠先生の「ニセ科学とつきあうために」に書かれているように、「見かけは科学のようだが、実は科学的ではないもの」というあたりを指しているようです。



2009年ごろに菊池先生のブログに出会った頃のことはこちらこちらに書きました。
最初の頃は、もしかしたら私自身が「これはニセ科学」「これはニセ科学ではない」と言い切ってもらいたい指針、科学的な意見とでもいうのでしょうか、そのようなものを求めていたのかもしれません。


その気持ちも行き過ぎれば、「白黒をつける」(p.8~)ニセ科学と同じことになってしまったでしょう。


ところがいろいろと考えていくうちに、「ニセ科学は科学の問題ではなく社会の問題」だったと思いますが、まことにそのあたりなのだと少しずつ見えてきました。



そしてグレーゾーンという言葉も、「科学的にはまだ解明されていない部分」「明確に白黒の線を引けない部分」という意味とともに、それぞれの「気持ちの問題」がけっこう影響しているからこそ人間社会は合理的な答えだけでは動かないのだと、もう少し理解できるようになりました。


半世紀も生きて今更な感じですが、私自身がけっこう自分の感情で右往左往してきたので、その失敗からようやく見えて来た感じです。


「グレーゾーン」
実生活ではどんなものがあるのか。
その受け止め方次第で、人の行動に大きな差を生み出すその「気持ち」とは何か。
考えても考えても尽きない話題ですね。




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