先日、近くのスーパーに「水素水」のペットボトルが山積みになっていました。
「ああ、これが話題のあの水か」と思いました。もちろん否定的な意味ですけれど。
今日のタイトル、なんだかちょっとあやしいですね。
「水素水」を意識するような、あやしさの漂う言葉です。
「背後水」で検索すると、中国語の文章に使われているものがいくつか、そしてどういう関係かわからないけれど水子の霊についての文章がでてきました。
検索してもそれらしいことが見つからないことに、ちょっとほっとしました。
この言葉、私の思いつきなのです。
以前、「背後カロリー」についてこちらとこちらに書きました。
私がヴェジタリアンになり、そしてやめた20代から30代の頃に常に意識していた言葉でした。
私が食べている物、それを生産し購入するまでの過程でどれだけの石油に依存しているか。
それまでは、ただ物が安いか高いかぐらいしか考えていなかった生活への視点を変えるものでした。
まあ、そこから私は豊かな国にたまたま生まれたことへの罪悪感から、少し走りすぎてしまったのですが。
そんな頃、またハッとさせられる別の視点を持った人たちに出会いました。
村井吉敬氏と仲間の人たちです。
「エビを輸入するということは、その国の水を輸入することになる」と。
1990年代初めの頃でしたから、今ほどペットボトルの水は飲まれていない頃なので、水といえば水道水のことでした。
今はどうかわかりませんが、当時、東南アジアからのエビの輸入にはクラッシュアイスが使われていたようです。
エビの重量以上の大量の氷の中で保存されながら、日本向けに輸出されている。
その背後にある「水」の量はどれくらいになるのか。
現地の人にとって「水」はどのようなものなのか。
そこにまで思いを馳せている人たちでした。
その話を聞く前に、東南アジアのある地域のエビの養殖場を私自身も歩いていました。
「日本向け」のエビ養殖場のためにマングローブが伐採され、養殖場では海水と混ぜるために大量の地下水が必要なこと、飼料や消毒のために土壌や近くの海が汚染されていることなど、地元の漁師の人たちからの話を聞いて、「問題」を理解していたつもりでした。
それでも、輸出に氷として現地の水が輸出されていることまでは思い至りませんでした。
ああ、なるほど。食糧を輸入すると言うことは、石油だけでなく、現地の水も大きく関係していることを忘れてはいけないと印象に残りました。
<いんげんと背後にある水>
今年になって初めてオマーン産のいんげんを見た時に、以前ソマリアに行く時に機内から見た、砂漠と乾燥した中近東の風景が思い出されました。
あの中近東で、このみずみずしいいんげんがどのように栽培されているのだろうと驚きました。
オマーンのどこで、どのような人たちが栽培しているのだろう。
行って見てみたいと、あの90年代頃の私にあった好奇心がうずうずしてくるのですが、今は仕事も親のことも放り投げるわけにはいかないので、ぐっとこらえています。
昨日の記事で引用したWikipediaのオマーンについの説明から、遠い国の情景を想像するしかありません。
河川もないにも関わらず、オアシスを中心に国土の0.3%が農地となっている。悪条件にもかかわらず、人口の9%が農業に従事している。
オアシスでは、水はどのように使われているのでしょう。
オアシスを出ると、そこには生命を維持するための水を得ることが難しい。
そんな地域から、あのいんげんはやってきたのでしょう。
あの1本のいんげんを生産するために、どれだけのオマーンの水が使われているのだろう。
そんなことを考えていたら、ふと「背後水」という言葉を思いついたのでした。
「水のあれこれ まとめ」はこちら。