思い込みと妄想 29 <空耳と妄想>

録画しておいたタモリ倶楽部空耳アワードの回でした。


以前観た時にお腹が痛くなるほど笑ったナゲット割って父ちゃんがグランプリをとって、なんだか満足したのでした。


最近、ちょっと気分的に落ち込むことが続いたのですが、この妄想の世界に浸って笑っていると、現実生活の気持ちのすれ違いからくる人間関係の面倒さもちっぽけなことに感じて、見終わった時にはすっかり気持ちが切り替わっていました。


「思い込みと妄想」はどちらかというと、自分自身の反省をこめて書いているのですが、この空耳アワーを観ていると、時には思い込んで妄想するのも悪くはないなと思います。


ただ、原曲の歌詞が思い出せなくなって、空耳の歌詞に置き換わってしまうのがデメリットですが。


Wikipedia空耳には、「実際にはない物音を聞いたように思うこと。視覚の場合は空目という」という説明とともに、初めて知った意味がありました。

聞こえても聞こえない振りをすること。

へえー。「空耳を使う」「空耳を潰す」「空耳を走らす」なんて使い方があるのですね。


空耳アワーでは「空耳」の使い方を以下のように説明しています。

元来「空耳」とは、聴覚の幻覚である幻聴や、聞こえても聞こえない振りをすることを意味するが、「空耳アワー」では「洋楽の歌詞の音韻をダブル・ミーニングやぎなた読みなどを利用して、意図的に違う文としてとらえること」を「空耳」と呼んでいる。


説明の続きにある「What time is it now?(今は何時ですか?)」を「掘った芋いじるな」という置き換えは、私も中学生ごろに聞きました。
一旦、日本語の方が入ってしまうと、元の英文を聞いてもいつでも脳内では「掘った芋・・・」になりそうでしたね。


文章の区切りを間違うことはぎなた読みというのですね。これも初めて知りました。
空耳アワーで調べて、ちょっと勉強になりました。


言葉の意味がよくわからないので自分の理解している範囲の言葉に聞き取れたり、読み方の区切りを間違い、そこから妄想が広がる。


結構、日常にある思い込みと妄想のひとつかもしれませんね。
そして「非現実的なことを考えている自分」と笑えてしまえれば、健全な妄想なのかもしれません。
妄想に健全という言葉を使えるのであれば、の話ですけれど。





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