医療に対する社会の受け止め方に少なからず差異が生じるのは、「見ているものが違う」のだろうなと感じることがしばしばあります。
「そう見えているのか」と、こちらも認識の相違に驚くという感じです。
出生当日から1日目ぐらいの新生児はなかなかおっぱいもミルクも受け付けず、時には初期嘔吐と呼ばれる状態が続いてこちらもやきもきさせられる時期です。
たいがいの赤ちゃんは、胎便が2〜3回ぐらいたっぷり出ると「吸おう」という様子が見られますが、「吸わないのか、吸えないのか」見極めて脱水を起こさないように注意していく必要があります。
先日、生後24時間ぐらいになってもなかなかまだ吸わない赤ちゃんがいました。
ちょうど面会時間で、おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさんそして親戚の方々がたくさんいらっしゃる中でしたが、少しミルクを試してみました。
哺乳瓶の乳首の先でちょんちょんと唇を刺激して口が開くのを待ったのですが、なかなか口を開けません。
ようやく少し開いたところを見逃さずに、グイッと入れてみました。
こういう時の新生児は舌で押し出そうとしたりなかなか手強いですから、こちらとの攻防戦が続きます。
押し付けない程度に待っていると、そのまま反射で飲み始めることもありますから、ちょっとそのままで見ていました。
赤ちゃんは口をもぐもぐさせていますが、飲んではいません。
ところが見守っていたおじいちゃんやおばあちゃん達が、「わあ〜、飲んだ!飲んだ!」と大喜びなのです。
私にすれば、「(これは飲んでいなくて、もう少ししたらきっと胃結腸反射が起きてゲボッとするだろうな)」という状況でした。
案の定、赤ちゃんはその前の時間帯に少し飲んだミルクでさえ吐き戻したのでした。
こういう「同じ状況をみているのに受け止め方は違う」場面はけっこうあって、そういうところにちょっとした行き違いの種があるのかもしれません。
「口を動かしていたから飲んでいた」という「事実」として受け止める人もいれば、「口を動かしているだけで飲んでいない」が「事実」として感じる人もいる。
日頃、「事実」というとなんだか確固たるもののニュアンスがあるのですが、やはり「そのような物ごと・状況が確かに存在すると判断するさま」であり、それぞれの主観に大きく影響をされるのかもしれません。
そして自分が「そうだと判断した」事実を否定されれば、プライドが傷つけられて、態度をかたくなにさせてしまうこともあることでしょう。
今回のこの状況は「世界一かわいい孫」という感情にかき消されて、「そうか、飲んだわけではなかったのですか」と認識してもらえましたが。
そのあたり、やんわりと相手の判断とこちらの判断をうまくすり合わせて「事実とは何か」の落としどころを見つけると、トラブル回避になるのかもしれないとふと思いました。
まあ、実際にはそれが難しいからたくさんの行き違いが出てしまうのでしょうね。
「事実」ってなんでしょうか。
「事実とは何か」まとめはこちら。