気持ちの問題 21 <何に対して苛立っているのか>

このブログを訪れて読んでくださる方には、「私」はどう映っているのかなと気になります。


文字で表現すると、日頃の私自身の葛藤や戸惑いもうまく整理されていくため、あたかもそこにはいつも考えて行動している「私」がいるかのような錯覚に、私自身が陥りそうになるぐらいです。


きっと、お母さんたちや新生児に耳を傾ける優しい人かのような人物像ができているかもしれませんね。


でも実像の私は、時に残忍で冷酷な感情もあります。


たとえば、満員の通勤電車や通勤途中の道でも、流れを妨げるような周囲を見ていない行動の人には苛々することもありますし、自分が疲労困憊していると相手に対して「(邪魔!)」と心の中で毒づいてしまうことがあります。


「あ、なんだろう。この自分の心の中の悪魔のような感情は・・・」と、社会的には「良い大人」であるはずの私とのギャップに愕然とすることがしばしばです。
そういう葛藤を繰り返しながら、自分がその中でそろりそろりとしか歩けない弱者になって初めてクールな人混みが見えて来たという感じ。


仕事中でも、そういう感情との闘いです。
「今、こんな電話をしてこなくてもいいのに」と苛立ったり、なかなか眠ってくれない赤ちゃんにちょっと苛々したりします。
そんな時には「忍耐こそ愛」と20代のころから唱えてきた呪文で、なんとか切り抜けます。


自分に余裕がある時には、心から相手のために何かをしてあげたいと思うのですけれど。


ただ、この「苛立ち」や「感情のムラ」は、立場が逆転すれば違う感情になりますね。


苛立たれた側に感じるのは多くの場合、相手の方が強い立場であるという恐怖や無力感かもしれません。
反論も抵抗もしずらいような。


相手が強い立場であったり性格的・身体的に強い人であることがわかっていれば、最初から私の方が苛立つことが少なく、相手を刺激しないようにこちらの方が感情を抑えていることもしばしばあります。


この感情は、私より弱い立場に向かっているものなのだ。
そこに自覚的にならないと、私はいつかとてつもない残忍なことをしてしまうのではないかと、深い闇の入り口に立っている気持ちになるのです。





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