水のあれこれ 40 <解放される>

水の中にいる楽しさは、解放感ともいえるかもしれません。


子どもの頃は海やプールの水の冷たさが、夏の暑さからの解放感でした。
ぶるぶると震えては熱い地面で体を温め、そしてまた冷たい水に戻っていくあの楽しさ。


東南アジアのエメラルドグリーンの海の側で暮らした時には、仰向けになって海に漂っていると空と海との境界もわからなくなるような不思議な解放感がありました。
そしてその水平線を目ざして進めば、そこにはたくさんの国とつながっているという解放感も。


30代からプールで泳ぐようになって、またいろいろな解放感がありました。


<水は等しく与えてくれる>


水は誰をも受け入れてくれるに書いたように、「とても上手な泳ぎ方だな」と思ってみていた方が、心身の障害を持っている方だったりすることがよくあります。


反対に、競泳用の水着やゴーグルがとても似合っていて筋肉もしっかりついていて、いかにも速そうな雰囲気の人が、水の中に入るとそれほど速くもきれいな泳ぎでもないことがあります。


身長もあってひと掻きとキックで大きく進みそうな人が、小柄な人や子どもに追い越されたりしています。


陸上なら簡単に負かされてしまいそうな男女差の体格や筋力差も、水の中では逆転することもあります。


陸上ならただの中年太りのおばさんに見える女性が、いかにも運動ができそうな若い男性を追い抜くことがあります。
あれは浮力の差なのでしょうか。


ましてや社会的な地位とか年齢差も関係がなくなるのが、水の中なのかもしれません。


抵抗をいかに少なくするかという大事な点に気づいて練習を繰り返している人には、必ずどこかで無駄なようでも続けてみればどこかで急成長する機会が与えられるのです。
老若男女にも関係なく平等に、あの解放感が得られるのだと思います。



水の中では「肥大した自己」という「抵抗」を削ぎ落としていく解放感がある、というのはちょっと大げさですけれど。



<抵抗を生み出すものから自由になる>


泳ぐことが上達するために時に競争心も必要なこともあるとは思いますが、水の中ではあいつより速く泳ごうとか、「もっと速く泳ぎたい」という自分自身への挑戦でさえ抵抗力になって手足の動きがバラバラになってしまいます。



「力任せに泳げば速くなるわけではない。そこが水泳のおもしろいところだと、本当に思います。
いろいろなもの、抵抗を削ぎ落としていくことに上達の道があるという感じでしょうか。


なぜ泳ぎ続けるのかに書いたように、50代の私でも、30代に比べば心肺機能も体力も落ちているはずなのに毎年少しずつ速く泳げるようになっているのです。
加齢に伴う心身の変化もまた水の中では抵抗になるのですが、その抵抗から解放されることのおもしろさがあります。


こちらの記事で紹介した野口智博氏の「言うなれば、水泳は誰にとっても伸びる余地をたくさん残したスポーツなのです」という一文は、もしかしたらそのことを言い表しているのかもしれません。




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