数字のあれこれ 3 <確率と気持ち>

1、2、3・・・。
この数字を見てもそこには何の感情も沸きませんが、「被害者は無視できない数にのぼり、1947年と1948年の強力痘苗だけに限定しても、犠牲者はおよそ600人と推計されており、天然痘のこの2年間の患者数405人を越えてしまった」という文章にでてくる数字を見ると、私自身、感情が大きく揺れます。


なぜ揺れるのか。


そしてその前に、その数字をもう少し詳しく知りたいと検索してみつけたものを「種痘の接種制度の変遷」で紹介しました。

「種痘研究の経緯 ー弱毒痘苗を求めてー」(平山宗宏氏、2008年、「小児感染免疫」)


これを読みながら、なぜ私の感情が揺れるのかちょっと見えてきました。


<全体からみる・・・統計や確率の受け止め方>


「はじめに」に「副反応の重さからみても頻度からみても最も問題の多かったのが種痘であった」と書かれていますが、筆者が調査を始めた1960年代はまだ正確に状況は把握されていなかったようです。

種痘の副反応は、当時、種痘合併症と呼ばれており、種痘後脳炎などが死因統計にあがっていたが、母数や診断基準などが正確には把握されていなかった
(p.66。「種痘の副反応の実態」)


p.67の「種痘研究班による種痘合併症の把握状況」を見ると、1954(昭和29)年までがひとくくりになって、「死亡13」「後遺症21」となっています。


そして「昭和30〜34年 14」「昭和35〜39年 27」は、おおざっぱな理解として年間3〜5人ぐらいの方が種痘後脳炎で亡くなったと考えてよいのでしょうか。


全国の被害を把握する前に、研究班が川崎と東京で行った調査結果が書かれています。

川崎市と東京で84,000名の初種痘を対象にした調査であり、種痘後脳炎1例、脳症3例が報告された。100万当たり48の頻度となり、軽症例が含まれているにしても予想を超える高頻度であった

もちろん、私自身や周囲の人がもしこの1例になったら「数字の問題ではない」と思うのですが、案外、確率的には低い数字であるという印象を受けました。
ところが、この数字を「高頻度である」と研究者の方々は受け止めることに、ハッとさせられたのでした。


<日頃、身近に感じる確率の感覚>


毎日、なんとなく確率を意識することがあると思います。たとえば交通事故に遭遇する確率とか。



検索したら「一生のうちに交通事故に遭遇する確率」という記事を見つけました。
ええ、数字に弱い私なので計算のあたりはすっ飛ばして読み、以下の部分がまず目に入ったのですが。

55.9%の確率で80年間交通事故に遭遇しない、ということでしょうか。つまり、80年の間に交通事故に遭遇する確率は、44.1%ということになります。

これを読んで、自分が55.9%の方と思う楽観的な人と、44.1%になると慎重になる人といるかもしれませんね。


私自身は交通事故に合わないように慎重に行動しているつもりですが、でも何が起こるかわからないかなぐらいの受け止め方です。


そんな私が交通事故の確率以上にびびっている確率があります。
それは10年やってわからなかった怖さを20年やって知るのがお産と経験豊富な産科医の先生が感じるような、お産に対する怖さです。


たとえば母体死亡に直結するような弛緩出血や常位胎盤早期剥離あるいはHELLP症候群などは20年ぐらい働いていれば、そこそこあたるかもしれません。


私がまだ遭遇していないのが羊水塞栓症ですが、「周産期医学必修知識第7版」(東京医学社、2011年)の羊水塞栓症の「疫学」には、年間数十人の妊産婦さんに羊水塞栓症が起きていて、日本での発生率は10万分娩中5例となっています。


この羊水塞栓症は、私にとっては一生に一度あたるかどうかぐらいの感覚で受け止めています。
たぶん当たることなく、無事にあと10年ぐらい助産師として仕事を全うできるのではないかという想いと、いつあたるかわからない怖さでびびっているのです。


さて、種痘の副反応の調査の「100万当たり48」という数字から思い出したのがこの羊水塞栓症だったのですが、予防接種を研究されている方々にとっては「高頻度」と感じるのだと、同じ数字でも受け止め方の大きな差に驚いたのでした。


このあたりの数字と気持ちの問題を考えていくと、予防接種に対する受け止め方の食い違いがみえてくるのかもしれません。


まあ、数字の苦手な私が言っても説得力はないのですが。





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