もやし

好きな野菜のひとつにもやしがあります。


野菜炒めに入れても美味しいし、さっと茹でて酢醤油であえてもおいしいですね。
なんといっても一袋30円前後という価格もすごいと思います。


もやし料理の中で一番好きなのが、ただもやしだけを炒めて塩・こしょうで味付けしたシンプルなものです。



料理の本をみると、もやしの根をとったほうが美味しいし見栄えもよいと書いてあることが多いのですが、私自身はそういうめんどうなことは苦手なのと、エイっと大胆な料理のほうが好みなので、もやしもむしろあの根がついたまま炒めたほうがおいしく感じます。



1980年代半ば、東南アジアで暮らした時に、市場でそのもやしを見た時には、なんだか同じ食文化がつながっているようなうれしさを感じたのでした。
そして難民キャンプで虜になった、ベトナムのフォーには生のもやしが盛られていて、初めて生で食べられることも知りました。


喜々としてもやしを市場で買って、現地スタッフにもやし炒めを作ったのですが、今ひとつの評価でした。
まあ、もとからあまり野菜が好きではないようでしたし、もやしも微妙に日本のものとは違っていました。


あの難民キャンプでベトナムの人たちがどのようにもやしを栽培しているのか、一度見てみたいと思ったのですが、残念ながら見る機会もなく帰国することになりました。


帰国した頃は、エスニック料理が広がり始めていて、韓国料理のもやしのナムルもこの頃からよく食べられるようになったような記憶があります。
もやし炒めともまた違うおいしさに、そうかこの手があったかと、それぞれの国の調理方法の奥の深さを感じました。


スーパーでも、それまでのもやしだけではなく、ナムル用のもやしなど種類が増えました。
料理に合わせたもやしを使うようになるなんて、子どもの頃には考えたこともない変化でした。


<もやしも案外と新しい野菜だった>



東南アジアで暮らした時に、日本の植民地化政策や移民政策で移り住んだ日本人によって広がった食品にしばしば遭遇しました。
かき氷もそのひとつでした。


市場でもやしを見た時にも、もしかしたらあの頃に日本人によって広がった日本の野菜なのかもしれないと思っていました。


ところが、この記事を書くためにWikipediaもやしを見てびっくりしました。

ブラックマッペ(ケツルアズキ)は、戦後にタイ、ミャンマーからの輸入が始まり、中華料理の普及と共に1965(昭和40)年頃から消費量が増加した。以降、1985(昭和60)年頃になるとスーパーマーケットに定着し、ラーメンや鉄板焼き(ジンギスカン鍋)の需要から人気は急激に高まった。手軽に購入でき多様に調理ができるブラックマッペもやしの普及にしたがい、生産コストの高い大豆もやしは衰退した。現在の「豆もやし」の代表「緑豆もやし」は食味と食感が好まれて、1990年以降、急激に普及した。


私が「もやし」として食べていたのは、戦後に広がったものだったのですね。
戦前に東南アジアへ行った人たちが、現地で食べたもやしを食べたいと帰国したあとに広がったのでしょうか。
あの餃子のように。


関東では緑豆・大豆を使った、色が白く太めでシャキシャキ感のあるものが好まれる。関西ではブラックマッペを原料とし、どちらかといえば細くて長く、もやし特有の風味があるものが好まれるようである。青森県には大鰐温泉もやしという長さ30cm程度の大豆もやしが存在する。


「もやしのような」というニュアンスも、もしかすると地域によって想像するものが違うのでしょうか?


私は緑豆もやしでも細くて長いタイプのものが好きなのですが、これが一番フォーに載っていたもやしに近いように感じるからです。
東南アジアから戻ってからは、主に、この細長いタイプのもやしを食べています。


それにしても、もやしって日本の野菜だと思い込んでいたのですが、日常的に食べるようになったのは私の人生と同じぐらいの長さだったということを知ったが、今日の収穫でした。