実験のようなもの 1 <妊娠・出産と壮大な人体実験>

なんだかおどろおどろしいタイトルですが、毎日新聞の連載記事「母と乳」第3部を読んで、ずっと以前から感じてきた言葉が思い浮かびました。


「実験」です。


たとえば 水中出産についてこう書きました。

水中出産は、人類が経験したこともない産み方を実験しているといえるのではないでしょうか。

1970年代から、分娩時の産痛緩和として温かいお湯につかることが広がり始めました。


90年代に勤務していた病院は、ちょうど建て替えの時期になっていたので、陣痛室に入浴ができるように設備を作りました。
「水中で産み落とす」ためではなく、産痛緩和と分娩進行中の気分転換のためでした。


ところが、結局ほとんど使われませんでした。
入浴を勧めても、入る気力や体力もないのがお産のようです。
まして、お湯の中で産みたいという人はいませんでした。


そのうち90年代後半頃からでしょうか。
水中で産み落とすことが少しずつ日本の中でも広がり始めたのは。
危ないな、まるで実験だなと直感的には感じていましたが、これもあらがえない時代の波でした。


その結果はどうだったでしょうか。
skyteam先生のブログ、2014年4月3日の記事にあるようにアメリカ産婦人科学会が危険性を勧告しました。

対照的に、新生児の水中分娩は、適切にデザインされた臨床研究の中でのみ行われるべき実験的な手法と考えるべきで、つまり結論は「Don't do it.(行うな)」です。


そう、水中分娩は被害にあった新生児やお母さんたちを生み出しても、それ自体が「行うべきではない実験的な手法」となるまでに20年以上もかかったのでした。


<医療の発展と人体実験>



種痘の記事で紹介した「種痘研究の経緯」の「追記」にこんなことが書かれています。

種痘研究班が活動していた頃は、現在のようにインフォームドコンセントや治験同意書などの定めがなく種痘は法律によって義務づけられた予防接種であり、種痘株の検討にあたってもすべて定期接種として実施されている。

この一文から、あの陣痛計と子宮収縮促進剤の開発の話を思い出しました。
現在当たり前のように産科で使って多大な恩恵を受けているこれらの開発の影には、人種差別と経済格差からアメリカの低所得層の妊婦さんと胎児が臨床実験に半ば強制的に利用されていた時代があったことを。


現在、この陣痛計と子宮収縮剤がなければどれほどの母子に危険があることでしょう。


種痘の重篤な副反応があった時代や子宮収縮剤の開発の話は、現在の私たちからみればすでに前近代的に感じることです。


ところが、妊娠・出産・育児においては、もっと雑駁な「仮説」がそのまま良いこととして実施されているともいえるのかもしれません。


「フリースタイル分娩」とか「院内助産」とか。
あるいは「完全母乳」とか「母子同室」とか。


そのあたりを、実験的という点から考えてみようと思います。




「実験のようなもの」のまとめ。

2. 現代の「母子同室」
3. 「荒乳を飲ませない」「初乳は大事」
4. ヒトは妊娠中にどこまで泳ぐことが可能なのか
5. 仕事場に子どもを連れて行くこと
6. 同じ方向を求めていたつもりが全く違う方向になることがある
7. 道の駅と「社会実験」
8. ヒトの筋力維持
9. 治験