母子同室という言葉を問い直す 1 <似て非なる言葉>

時々、ふとめまいに近い気分になることがあります。


それは現在の周産期看護で管理的な立場にいる50代ぐらいの世代、つまり私と同世代のほとんどは、私と同じように「新生児室に新生児を集めて世話をする」ことが当たり前として教育を受けたことです。


よほど、自身の兄弟姉妹が多いなどの条件がなければ、私と同じくらい新生児が昔からどのように世話をされて来たのかなんて考えることもなく、教わった方法で粛々と業務を遂行していたのだろうと思います。


長い長い人類の歴史を見れば、新生児を集めて世話をするという方法自体が、とても特殊な実験的なことだったと言えるでしょう。


私たち世代と言うのは、そのとても特殊な新生児の世話の方法を当然として学び、それ以外を知らない世代とも言えます。


その世代が20代だった頃、わずか数年で「母子別室、規則授乳」から「母子同室、自律授乳へ」と社会の雰囲気が変化し始めました。


私と同世代のスタッフは、その時に、どのように「母子同室」のイメージを描いたのでしょうか。
ほとんど「出産直後から母と新生児が一緒にいること」を体験していない世代が、オセロをひっくりかえしていかのように、次々と母子同室という言葉を取り入れていったのが1990年代でした。


その時代のパワーに驚くとともに、突き動かしていく言葉の持つイメージの怖さにめまいを感じるのです。


同じ言葉でも見ている方向が違うのに、いつのまにか一つの価値観に収斂されていく怖さとでもいうのでしょうか。



<似て非なる「昔から」のイメージ>



母子別室・規則授乳しか知らなかった私が、その方法が非常に特殊な方法であると気づいたのは、難民キャンプや海外での医療援助に参加したことがきっかけでした。


難民キャンプではキャンプ内のクリニックで出産しますが、2〜3時間から数時間ぐらいで落ち着けば、家族とともに家に帰って行きました。
そして実母や姉妹、親戚の女性が身の回りのことや新生児の世話をしてくれました。


ああ、私が生まれる少し前の日本はこんな感じだったのだろうな、と初めてイメージできたのでした。


片や、当時の病院では新生児室に集められた赤ちゃんたちは、泣いても抱っこしてもらえないし、時間にならないと授乳も母や家族に会うこともできない、「規則」という壁がありました。


難民キャンプでの仕事から戻って、助産師になろうと学校に入り直した頃、「赤ちゃんとお母さんが一緒にいられるように」というスローガンが日本でも広がり始めたのでした。


それは良かった、良い時代になると思いました。


ところが、それまでの時間にしばられた規則を撤廃して、お母さんのもとに赤ちゃんが連れてこられるようになったのですが、大事なことが欠けていました。


こちらの記事に書いたように、お母さんと赤ちゃんには人の手が必要なのですが、お母さんの代わりにあやしたり見守ってくれる人が病院にはいないことです。


私は幸いなことに、こうした人の手がたくさんある社会での赤ちゃんの世話を実際に見聞きすることができたので、「母子同室」というとその「人の手」も一緒にイメージしています。


でも、こういう状況を見たこともない、私の同世代の助産師はどうやって「母子同室」をイメージしたのでしょうか。


だから、「お母さんは寝ないもの」とか「すぐに預けたいという人」「家に帰ったらどうするの?」という厳しい視線を向けるスタッフが育ったのだろうと思えるのです。




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