つじつまのあれこれ 4 <辻褄の合う話>

2004年ごろというのは、私がちょうどこれからはずっと産科診療所で働こうと心機一転していた時期でした。
それと時を同じくして、産科医療崩壊を加速させるようなことが次々と報道されました。


助産師として周産期医療の実態を知りたくても、耳に入ってくるのは「産科医が不足しているからこそ助産師の活用を」「産科医がいなくてもお産をまかされるような助産師に」といった、いくらなんでも今それは違うでしょうという話ばかりでした。



もっと周産期医療全体の問題は何か知りたいと、当時はネットでさまざまな意見を読みました。
産婦人科医だけでなく他科の先生たちも産科医療について、あるいは医療全体の問題について積極的に発言されていました。


今日、紹介するのは2008年にm3という医療ニュースサイトの「医療維新」に掲載された記事です。
当時、周産期医療の問題を頭の中で整理したり将来像を思い描くのに、とても参考になった記事のひとつです。
筆者の桑江千鶴子医師のお名前は、2010年に都立多摩総合医療センターのHPに「『安全』と『自然』について」が掲示されたことで記憶に残っている方もいらっしゃるかもしれません。



5回にわたる長い記事ですが、いつかリンクできなくなってしまう事態に備えて、全文ここに書き写しておこうと思いました。



都立病院の産婦人科医の立場から見た妊婦搬送問題(1)ー都立府中病院・桑江氏
医師不足や公立病院の構造的問題が背景に

2008年11月10日

 都立墨東病院の件をはじめ昨今、妊婦の搬送が社会問題化している。今回と次回に分けて、「なぜこうした問題が起こったのか」を、都立病院に勤務する立場から検証するとともに、その後、その解決策を探ってみる。


1, 分娩施設不足・産科医不足が顕著になってきた
 日本産婦人科医会の調査によると、2007年には分娩取り扱い病院は全国で1281あったのが2008年には1177に減った。たった1年で104病院8%が分娩を扱わなくなった。このまま現象が続けば、単純に計算したら10年後にはゼロになってしまう。分娩取り扱い施設は有床診療所を入れると全国で2839あり、病院41%、診療所59%の割合である。扱っている分娩数は、総計100万分娩で、病院と診療所が約50%すつ担っているが、ある程度以上は無理であるし、医師が1人辞めればとたんに扱えなくなる。現在はその余裕がなくなった状態であると思う。


 都立病院でも、分娩取り扱い施設は以前は6施設あったが、現在は4施設で、うち1つが今回問題になった墨東病院だ。都立病院全体を見ても、本来の状態では分娩取り扱いはできていない。つまり施設数としては3分の2、各施設の産婦人科医数の減少もあるので、可能な医療内容としては半分になっている。今回のような事例は都立病院であれば、以前はどこでも受け入れ可能であったが、その可能性が半分になっていると考えてもらえばいい。


 医師が多いと言われる東京でも、産科、特にハイリスクを扱う施設、救急を扱う施設は不足している。私の勤務する病院はNICUがないので、年に20例以上の母体搬送を余儀なくされるが、その時は医師が一人電話に張り付いて周産期センターに電話をかけまくる。それでも受け入れてもらえずに、数日間にわたりかけることも珍しくない。


 特に妊娠早期の多胎は容易には受け入れてもらえない。急を要する時には、今回の都立墨東病院と同様の事態になる可能性は高い。今回は最初の問い合わせから1時間20分で搬送が決まったのは、われわれ産婦人科医の感覚で言えば早い方である。重症の恐れがあるため、最終的に都立墨東病院は無理して受け入れた。NICUは足らず、産科でも特に重症例を扱える施設は減り、医師もいなくなっている。


2. 総合周産期センターの構造的な問題がある
 1996年に国は周産期事業を開始して、母体死亡や新生児死亡を減らそう、周産期障害率を減らそうとした。それ自体は誠に結構な意図であった。しかしその策定内容は「絵に描いた餅」の部分があった。


 国が決めた周産期センターの基準によれば、地域周産期センターと総合周産期センターの違いはMFICUがあるかどうかだけである。その後の改訂によって、当初12床とされたMFICUは6床まで減らされた。複数当直が必要とされた当直体制は、6床であれば「1列当直」でよいとされた。産科の実情に合わなかったと推察される。


 MIFICU6床であれば専任産科医は1人当直で、緊急の事態にはもう一人をオンコールで呼び出すことでよいが、9床以上あると専任産科医の複数当直が必要である。専任の意味は他の仕事をしてはいけない、ということである。大抵の総合周産期センターを要するような大病院は、婦人科病棟や一般産科病棟もあるし、救急もやっている。しかし、「専任」とするためにはもう1列当直体制をとらなければならないので、国の基準通り厳密にやれば産科医3人当直体制となる。つまり1ヶ月で90単位を埋めるとすると、1週間に1度の当直としても(それでも32〜36時間連続勤務であることには変わりないが)90÷4=22.5つまり23人の産婦人科医師が必要となる。


 現在、75の総合周産期センターがあり、その大半は大学病院あるいは大規模の公立病院に設置されているが、この基準を満たせる病院はいくつあるだろうか。おそらく5病院あるかどうかだろう。大抵のところは基準を満たしていないが、それでも多数の命を救っている。他の病院の当直を入れれば、1人の産科医が月に15回もの当直をこなしている状況もあり、余裕というものが全くない。自分の時間も生活もない。このような状況で10年も20年も働いていけるわけがない。現在は過酷な勤務をこなせても、いずれ皆、辞めていくであろうし、新しく入ってくる医師はいないか、いてもすくない。男性医師は特に少ない。


 若い世代は女性医師の比率が多いので、現在は総合周産期センターの運営ができているところも、早期破たんすることは目に見えている。1996年にできた基準から12年たって、現在はその当時より産科医療事情は数段悪化している。当時ですら産科側の事情が斟酌されていたとは思えない。総合周産期センターといっても、「こども病院」のような小児科に特化していて母体の合併症を診ることができない病院も多く、それが県で唯一の総合周産期センターであるところもあり、産科医の確保と赤字に苦しんでいる状態が大半である。


3. 都立病院=公立病院という問題
 日本の病床数は諸外国と比べると格段に多く、在院日数も長いので、国は病床数の削減と在院日数の短縮化に熱心に取り組んできた。そのために(ばかりでもないだろうが)医療費を削減して保険点数を下げ、病床数を減らそうとしてきた。しかし、その結果が思ったようにはいかなかった、つまり急性期医療と不採算医療が成り立たなくなってしまったのではないかと個人的には考えている。


 本来、個人病院・私立病院は黒字にしなければやっていけないから、赤字になる部分は手を出していなかった。しかし、必要な医療は国民の要望があるので、そうした不採算医療については全国に1000ある公立病院が引き受けて来た。「お産」も以前は「儲かる」医療だったかもしれないが、「出産育児一時金」が数十年間据え置かれて30万円という低額がつづき(現在は35万円*)、分娩をやれば病院の持ち出しになるため不採算医療になった。


 戦後のベビーブーム時代は年間260万件あった分娩も今は約100万件に減った。しかし、医師以外のスタッフの給与や材料費は当然のことながら上昇したために「儲かる」医療ではなくなった。


 それに加えて患者の権利意識が高まり、それ自体はいいことだと思うが、医療事故があった時の産科医医療や産科医への非難や攻撃が激しくなり、"クレーマー"も増えた。診療所では看護師による内診問題と助産師不足があり、医師への負担が増した。本来、お産は危険なもので母体も胎児も死亡することが内在している医療であるが、それが世間的には容認されなくなり、結果が悪ければすべて医師が悪い、というマスコミの攻撃と訴訟の敗訴が立て続けにあり、民事の賠償額も高額になった。極めつけは「福島県大野病院事件」で、医師が逮捕される刑事事件が起こるようになってしまったことだ。


 診療所では高齢化が著しいが、後継者がいない。病院医療では産科医がいなくなった。さらに、公立病院は、詳細は後述するが、産科でなくても「低賃金長時間労働」であるなど勤務条件が悪い。重症例やどこも引き受けないような困難例が多く、救急もやっているので訴訟になりやすく、"クレーマー"も多い。ほとんどすべての医師を大学教室からの派遣に頼っている。


 こうした悪条件のために医局員は公立病院を嫌がる傾向があり、新研修医制度をきっかけにして、公立病院からの医師引き上げがまず起こり、医師不足が露呈した。その先鋒を産科が担った。まず医師不足に陥り、採算が取れなくなり公立病院が閉院する、という経過をたどる。


 公立病院は、医師にとっては魅力がない病院が多いので、大学も引き揚げやすかったと思われる。都立墨東病院産婦人科は現在は大学からの派遣がないので、研修医で補おうとしていたが、それができていなかったために問題になったのが、今回の事例の背景についての解釈である。


 最後に、亡くなられた患者さんのご冥福をお祈りするとともにお子様の健やかな成長を心よりお祈り申し上げるばかりである。

*現在は産科医療補償制度に加入している施設での出産に対しては42万円。



都立病院の産婦人科医の立場から見た妊婦搬送問題(2)
低賃金・長時間労働、兼業禁止、首長・議会に左右・・・

2008年11月12日

4. 医療側から見た病院の問題
公立病院は、医師側から見れば、待遇の悪さなどの様々な働きにくさがある。以下に列記する。


(1)低賃金・長時間労働である
 医師の給与は病院の設立母体によって変わるので、「勤務医」としてひとくくりにすることはできないが、民間病院はおおむね需要と供給の原則に基づいて決まる部分があるが、公立病院は「公務員」であり、基本は一般の公務員給与と同じである。


 ただ、それではあまりに待遇が悪く、医師の確保ができないので、医師には「初任給調整手当」がある。これは公立病院の医師確保のために1961年より始まったということだ。医師の仕事は長時間に及ぶが、時間外手当てはまず全額でることはないどころか、ほとんど出ない。緊急で病院に行く際などの特殊勤務手当ては、低額の上に基本給の25%まで、という制約がある。特に昨年までの都立病院医師の給与は、総務省の調査では全国自治体立病院の61番目で最低であった。


 武弘道先生の著書『こうしたら病院はよくなった!』でも、都立病院の医師給与が全国的にも低いことに触れていて、「生活費が最も高い東京において、医師の給与総額がこんなに低く抑えられているのは納得がいかない」と書いてくださっている。この時のデーターでは、他の公立病院との比較で、年間で約500万円の差があった。自治体立病院であるから、基本給やボーナス、その他手当てはまず変わらないが、時間外手当と特殊手当で大きく違っていた。私は22年間都立病院に勤務しているので、他の公立病院に勤務していた場合と比べると、単純計算で1億1000万円は損をしていることになる。公立病院の中ですらこれほど差があるのに、他を民間病院と比較したら、その差は歴然としており、都立病院に勤務する医師がいなくても当然だろう。


 都立病院産婦人科勤務医は「都立病院産婦人科連絡協議会」という任意の会を作って、都の病院経営本部にも参加してもらい、過去数年間にわたって様々な問題を協議してきた。特に産婦人科医の待遇改善がなされなければ希望する医師はいなくなり、分娩扱いを維持することはできないと警鐘をならし、具体的な要求もしてきた。しかし、全く改善されることはなく、要求は無視されてきた。最近になり2006年の都立豊島病院(当時)の産科閉鎖、都立荏原病院(当時)の産科閉鎖、都立墨東病院産婦人科医定員割れと相次ぎ、ようやく今年4月かより待遇改善されたが、おれはたまたま優れた担当課長が赴任してきて、われわれ主張に耳を傾けてくれたという偶然の要素であると思う。(ただし、産婦人科に特化しているのは、異常分娩手当(1件につき1人4750円)だけである。)


(2)コメデイカルが「働かない」傾向がある
 看護師を始めとするコメデイカルが、公務員的働き方をするため、医師にとっては仕事がやりにくい、端的に言えば「働かない」病院がある。院長は医師であるが、現場の医師の味方にはなってくれないので、大抵の仕事は医師がやることになる。確かに医師の指示がなければできないというのが、今の保険診療の建前であるが、事務的仕事から他の病院であれば他の職種の仕事まで医師がやることになり、在院時間が多くなる。


(3)制約が多い
 「公務員」なので制約が多く、学会活動や医学研究がやりにくい。時間的制約もさることながら、講演活動、学会活動、研究費などにも制約が多い。


(4)兼業禁止
 兼業は、本来業務が忙しいので実際には難しいとも思うが、私立大学は教育関連病院の維持に他の病院からの応援が欠かせないため、兼業禁止があると派遣できないところが多い。金銭的な問題だけではない。相互に行き来して地域の病院を応援したいと思ってもできない。オープン病院にしたくても、開業している他の医師が出入りできるような身分条件が厳しいため実現困難である。


(5)事務方が医療にあまり精通せず
 事務局長や課長など事務の管理職は、すぐ交代してしまう。長くても2年、短い時は半年で転勤していまうこともある。彼らは本庁に戻ることが前提であり、現場の医療にはあまり熱心ではないようだ。また医療に詳しいエキスパートも少ない。絶えず交代してしまうので、継続性を持って事業ができない。そのため医師が働きやすい、医師の希望を入れた病院づくりができにい。「今まで通り」「昨日までやっていたことを今日もやり、明日もやる」という態度で、新しいことは「前例がない」と言ってやりたがらず、変化を嫌う。自分がいるときは「大過なく」という感じで、旧態依然の雰囲気になる。やる気のある医師ほど嫌になってしまう。


(6)税金で補てんされているために起こること
 公立病院の患者は、民間病院と比べると、受診態度が悪い人が少なくない。医療者に対して「税金で雇われているのに態度が悪い」などという投書が珍しくない。「税金を払っているのだから、サービスを受けるのは当たり前」という態度の患者もいる。このことが前提にあるので医療上のトラブルになりやすく、「クレーマー」や「モンスターペイシェント」の発生率が高いように感じる。しかし、事務方は転勤が多いので慣れていない人が多く、結局、医師が対応しなければならないことも多い。


(7)首長・議会の決定によって方針が決まる
 公立病院は、設立母体の首長の方針や議会の決定によって運営されている。建前上は民主主義であるから、選挙で選ばれた首長や議員、都立病院であれば都知事都議会議員の決定に従うことになる。これ自体は当然のことであるが、このような立場の人は医療には素人であるおとが多いので、決定が現場に混乱をもたらすことも少なくない。


 この点が民間病院あるいは公的病院(たとえば日赤、保険病院、厚生年金病院など)とは決定的に異なる。例えば私の勤務する病院では、以前より救急は熱心に病院内の各科が連携良く行っていたという歴史があった。しかし2001年の「東京ER」の開始とともに、現在でいうところの「コンビニ受診」が膨大な数で押し寄せた。当時の整形外科が手術・開業医からの紹介救急患者などに対応しながらのERであり、そのための余分な人手があるわけではなかったので、医師の健康被害も出ようという状態だった。


 しかし、病院側、東京都側は整形外科の対応を理解せずに、部長・医長を他の都立病医へ強引に移動させた。住民からも署名活動が起こった。病院医局も反発して、医局会を開いて医局として弁護士を雇い「36協定」を結んだり、抗議をしたりした。救急医療が地域にも必要であることは理解できるが、十分な準備もなく、議論もなく開始すれば現場は当然混乱する。この時のことが、いまだに尾を引いていると思われる。


 都立墨東病院産婦人科は、大学病院からの派遣医師は現在いないので、独自に研修医を募集して、従来からの常勤医師と研修医で総合周産期センターを運営していた。しかし、上記のような都立病院固有の問題があり、今回の妊婦搬送問題につながったと思われる。研修医が育成されるまではまだ時間がかかったであろう。2006年に都立豊島病院の地域周産期センターがなくなり、来年4月より都立大塚病院に総合周産期センターを開設すべく、MFICUを作るために現在工事中であった。それまでの間、東京都としては都立墨東病院のセンターを維持しておく必要があったとも考えられる。しかし、産科医も無理をして8-10回の当直をこなしていたと聞いており、同じ産婦人科医としては限界を感じる。


都立病院の産婦人科医の立場から見た妊婦搬送問題(3)
故意による犯罪以外の産科医療事故は刑事免責に

2008年11月17日


何をすればいいのか、という問いは今までにもあり、その解決方法も出尽くしている感がある。しかし最近は、医療崩壊のスピードの方が早いという気がしており、産科崩壊も分水嶺を越えてしまったのではないか、と感じている。いずれにしてもドラスティックな解決方法を、しかも早く実行しなければ、日本の産科医療の未来はない。今まで提案されていることの繰り返しになるかもしれないが、重要と考えられる解決方法から列記する。


1. 故意による犯罪以外の産科医医療事故は刑事免責にする
 例えば「脳性まひは周産期周辺での発生は4%しかなく、大部分は胎内で発生しているので、いくら帝王切開率が上がっても、その発生率は分娩1000に対して約2という割合は変わらない」という事実は、産婦人科医には常識であるが、一般人や司法、マスコミにはその知識は乏しい。そういう胎児は分娩時に異常な経過になりやすい。結果が脳性まひであると、「産科医の判断や処置が悪い」「帝王切開が遅れたから脳性まひになった」などとして訴えられて、民事裁判でも負け、医師側には2億円になろうという多額の賠償金の負債が発生する。


 医療先進国のアメリカでは、約20年前には今の日本のように脳性まひの発生は、産科医の責任ということで、医師側が裁判に負け続けて産科医がいなくなり、分娩ができる施設がなくなった州もあった。しかし、脳性まひの大部分は、胎内で既に発生することが証明されたので、医師が勝つようになり、少しは事情が良くなった。この点では、日本は少なくても欧米より約20年は遅れている。しかし、一般的に知識が行きわたる前に、産科は崩壊してしまう。


 帝王切開術既往の妊婦が、経膣分娩を希望した場合、前の傷が子宮下部横切開という通常の術式ならば、0.3-0.7%に子宮破裂の可能性がある。いったん子宮破裂が発生すれば、どんなに急いで手術をしても母児ともに命の危険がある。そもそも手術をするにしても1−2分で開始できるわけもない。30分でできれば早い方である。児は助かっても重い障害が残る場合がある。


 しかし、帝王切開既往の妊婦を全員初めから帝王切開したとしても、100%無事に分娩を終える保障は全くない。帝王切開の母親の障害率は、経膣分娩よりは数倍高い。おおむね経膣分娩の方が母親には安全であるが、どちらにしても危険はある。総合的に判断して「良かれ」と思った治療方針を選択するのは、臨床医の専従事項であるし、それをインフォームドコンセントした結果、「信頼して」患者も医療を受けているはずである。「結果」を保障してい医療を行っているのではないし、患者側にしても覚悟や責任がないわけでもないだろう。


 分娩自体が危険なのであるから、Aの方法でもBの方法でも確実に安全に終了するとは限らない。一般の人は「Aの方法で結果が悪かったから、Bの方法を選べば結果は絶対に良かったに違いない」あるいは「Aの方法を選んだ医師が悪いが、Aの方法でもこうしてくれていたら、絶対にこの結果よりは良かったはずだ」という思い込みと論法で裁判を起こす。けれどもわれわれ産科医の考え方は、どちらにしても悪かったかもしれない、と思うし、始めから結果がわかっていれば結果が良い方を選ぶだろうが、そういうことはあり得ない、と思う。「こちらの方が結果が良いだろう」と、臨床的に判断して選択しているのである。


 医師は「たら」「れば」で医療は語れないことを知っている。だから患者と医療者の間には、到底越えられない深い溝があると思えてならない。この溝を埋める努力はするとしても、埋めてから話し合いをしようというのでは、医療を立て直すには時間がかかりすぎる。結果としての産科崩壊は止められない。


 どのような医療行為でも、すべてEBMがあるわけでもないし、そもそも医療そのものが純粋科学的な行為ではない。医学は科学であるが科学ではない。すべて文献をそろえることもできない。しかし、医師は経験的・歴史的に「こうした方が良い」ということを知っていて、医療を行っているのである。


 例えば、常位胎盤早期剥離という病態がある。普通は胎児が産まれた後で始めて胎盤は子宮壁から剥離してくるが、生まれる前に胎盤が剥がれてしまうという非常に危険な病態である。原因がはっきり分かっていないし、防ぐこともできない。しかし、いったん起きてしまうと、胎児はまず助からないか急いで帝王切開をして取り出せば運良く間に合って助かることもある。低酸素が長く続けば障害が残ることもある。胎盤が剥がれると、母体の血管内に羊水が入り、短時間でDIC(播種性血管内凝固症候群)という出血が止まらない状態になる。子宮を摘出しても改善しなくて母体死亡することも多い。


 いくら輸血しても出血傾向が良くならない時に、成分輸血でなくて、採血してすぐの生血を輸血すると出血が止まることがある。その理由は分からないが、成分輸血では失われてしまうような物質が、採血直後の血液にはあるかもしれず、それが止血してくれるのかもしれない。しかし、採血直後の血液は、感染やアレルギーの危険もある。母体の命を助けようとしてこういった行為を行った場合に、結果が母体死亡であると、その原因が生血を輸血したせいたど言われるかもしれない。母体の命を救うために、他に方法がなければ、いくらその治療の有効性を証明できないといっても許される医療行為だと、医師なら思うであろうが、一般人や司法、マスコミがどう思うか分からない。


 上記のようなことを考えながら瞬時に決断して、医療行為を行うことはできないのだ。「目の前で苦しんでいる人の命を助けたい」「お母さんと赤ちゃんの命を助けたい」と医師が思う事で、大抵の医療は成り立ってきた。そういう崇高な動機が失われつつあるのが、今の産科医療である。


 医師の心が折れ、モラル崩壊を起こすきっかけは、「福島県立大野病院」の刑事事件、医師の逮捕でった。それまでもたくさんの「ありえない」民事裁判の判決があったが、まだそれは賠償金の話であったので、不満はあってもまだ耐えられた。しかし、能力も経験もある医師が全力を尽くし、与えられた条件(施設・人手・輸血など)の中で精一杯行った医療行為が「犯罪」とされたことには、産科医は耐えられない。これが産科医療崩壊の引き金を引いた。無罪判決が確定しても、その判決内容を読む限り、第2、第3の「大野事件」が起こる可能性がある。引き金は今も引かれたままだ。


 医療は「性善説」にのっとって、「信頼」の上に初めて成り立つ人間的行為だと思う。救急車で運ばれてきて、この医師が行う医療行為は大丈夫だろうか、はっきり良くなるというEBMがなければ治療してほしくない、と思いながら激痛にのたうちまわるということがあるだろうか。自分の住んでいる国や地域で、国家試験を受け、一定の資格を持ち、研修をしている医師であれば、なんとか助けれくれるだろうと、信頼して身を任せ、良くなるためには手術が必要だ、と言われれば同意するのが普通の感覚だろう。


 そういう「信頼」に対して「治す」ことを目的に、自分の能力の限りを持って医療行為を行う限り、その結果が悪かったからといって犯罪として裁くべきではない。「良かれ」と思ってする医療行為は、刑事裁判の対象から外すべきだ。医療人としての立場を利用して障害や致死的行為を起こすのは、もちろん犯罪であるから司法・警察の手にゆだねるべきだろう。通常の医療行為を著しく逸脱していたり、標準的医療の水準に満たなくて起こすような医療事故や医療過誤については、民事裁判の対象にはなることは、医療人も納得するだろう。


 「人は誰でも間違える」のであるし、そもそも医療という業務は、一つ間違えれば人を障害したり命を脅かす危険のある仕事である。「間違える」ことへの刑罰を強化しても、「間違いが減らない」ことは周知である。間違いをなくすことはできないが、減らす対策を取ること、そのための不断の努力をすることはできる。そういう方にエネルギーを向けたほうがはるかに有効が。ただし、そういう危険な結果をもたらす業務についているという自覚がなく、低レベルの仕事をする人への研修や罰則、結果として起こってしまった障害に関する賠償などについては、国としてきちんと整備してほしいと思うし、あるいは医師自らが医師を律する団体を作るか、日本医師会が変わって、医師会内にそういう部門を作りその責を担ってくれるのであれば、それが一番現実的であるし、理想的だと考える。
 


都立病院の産婦人科医の立場から見た妊婦搬送問題(4)
「指導医の処遇改善、お金をかける」が解決策

2008年11月25日(火)配信

2. 医療、特に周産期医療にお金をかける


 およそ生物は、自分の種を残すことにその生の大部分の時間と労力を費やす。生まれてきて、子孫を残し、死んでいくのが通常の生物のありようだ。しかし現在の日本では、子供を産み、育てることに対する税金の使い方が極端にすくない。これでは少子化は止まらない。日本国民とそれぞれの民俗の持つ文化を次世代に伝えていくこと、永遠に存在させていくことに政治も行政も熱心には見えない。なぜなのか。推測するに、日本の意思決定機関を支配する方たちは、このようなことは「女・子供のするべきこと」で「男」のすることではない、つまり価値観として重要だとは思っていないのではないかと思う。


 周産期医療への支援の少なさ、子供を産み育てる女性への支援の少なさ、特に働きながら子供を育てる女性への支援の少なさは、先進諸国の中でも突出している。世界第2の経済大国であるにもかかわらず、国民の「生命と財産」を守ることが国の役割であるにもかかわらず、「生命の誕生」とその「育成」を重要と考えているとは感じられない。その結果、周産期医療は衰退して崩壊寸前であり、妊婦の命は危険にさらされている。ここの「お金」をかけることに反対する国民がいるだろうか。安心して出産できる医療を構築することに税金を投入することに反対する国民がいるだろうか、と思う。


 具体的な提案をしたい。
(1)勤務医の待遇を改善する:しかも大胆に
A:指導医の待遇改善をする

 産科医療は外科系であり、技術がなければ何もできない。しかし、技術は指導医から伝授してもらわなければできるようにはならない。自己流でできるほど甘い世界ではないし、特に現在は「ミス」や「失敗」が許されない。研修する医師はある意味ではいるかもしれないが、高い質で医療を行いつつ、後輩を指導できる医師は多くない。しかも現在、指導医クラスが大挙して病院から退職しているので、今後研修できる施設も少なくなっていくであろうことが何よりの問題である。現在、踏みとどまっている指導医への手厚い待遇改善が早急に必要である。技術は失われてからでは取り返しがつかないし、現在でも急速に失われつつある。


 優れた指導医がいれば医師は確保できるのである。去ってしまうと、その病院は閉院の危機に陥るほど、指導医の存在は重要だ。臨床病院は指導医が扇の要(かなめ)である。まずそこから待遇改善を徹底してほしい。

B:周産期センターあるいはそれに準じた病院で働く産科勤務医の待遇改善を
 今すぐ産科を希望する医師を増員させることはできないし、もし将来増員することができるとしても時間がかかる。それまでは今働いている医師がこれ以上辞めないようにしなければならない。休日を増やすことは人数の関係で難しいのであれば、せめて給与面での優遇が必要であろう。インセンティブが働くことで、希望する医師が増えることもないとは言えない。現在できることと言えば、それくらいしかないのではないだろうか。できるところからやっていくしかない。


 公立病院の医師の待遇改善が、遅遅として進まない理由としては、公務員であるので手当てしか改善の余地がなく、手当ても合法的にはなかなかつけられないという現実の問題がある。


 議論のたたき台として提案したい。医師については、今の給与体系では改善できないのであれば、別枠で給与体系を新たに作るか、あるいは「公務員」の身分ではなく、病院と契約するか、どちらしかない。自由契約とした場合の問題点は多々あるが、身分が「自由」となることでメリットもある。医師個人でどちらかを選択できる制度の構築も考えるべきだ。いずれにしても待遇改善をすることに尽きる。まず産科医について行う。他科についても早晩実現できると思うので、理解してほしいと思う。


 プラスするのが実際問題として難しいのであれば、マイナスを少なくするという選択はどうだろう。助産院は事業税を免除されているが、例えば公立病院より高額な分娩代を設定している助産院も珍しくない。設備投資も人件費も検査機器への支払いも、病院よりも低額だろう。周産期医療への貢献として事業税が免除されているならば、公立病院産科勤務医も十分なものがあると考える。住民税・地方税所得税などの免除・減税をしてもらう、という方策もあると考える。これは十分実現可能だ。国との調整があるとしても、首長や議会が決定してくれれば良い。産科以外にも広げるかどうかは、その地域の選択でよい。地方への医師の招聘にもなり、インセンティブが働く可能性もある。


(2)周産期センターの基準を変える
A:複数当直性の見直し

 1996年に周産期事業を開始した時に、既に「総合周産期母子医療センター」についてMFICUが12床以上(その後、9床に改訂)での産科医の複数当直は、現場では「無理」と言っていたことは前述した(「医師不足や公立病院の構造的問題が背景に」を参照)。もちろん理想はそうかもしれないが、帝王切開を決定したとしても、患者が手術室に移動して麻酔が効くまでにはある程度の時間がかかる。それまでに、もう一人の医師が来ることができれば実際の業務上は何ら支障ない。患者の安全にも問題ない。「複数当直」は医師がいなくて実際は無理なことが多いので、オンコール体制を作れるのであれば、MFICUの病床数にかかわらず周産期センターとしての認可をするべきだと思う。オンコールに対しては当然「待機料」を支払うべきである(現在はただ働きである)。


 ※複数当直制:規定では「常に専任の医師が複数勤務していること」ということで、夜間も専任産科医が2人以上勤務していることが必要である。交代制勤務を規定したとも考えられるが、実際、夜勤を交代勤務としている周産期センターでは、私の知る限りではそんざいしていない。明けでも帰れず、手当ても「1晩に付きいくら」である。実務は当直であるので、分かりやすく表現するためにこの言葉を使用した。


B:施設基準の見直し
 MFICUは、施設基準として病床の広さ、クリーン度、3床に1人助産師が配置されていることなどの基準があり、それを満たす施設では、所定の診療報酬が14日まで請求できることになっている。しかし、公立病院は戦後建てられてから時間が経っていても、経営が赤字であり、特に地方自治体は財政的に厳しいので、立て直すことができないところが多い。施設基準を満たすには、立て直さなければ無理なので、実際上は総合周産期センターとしての機能を果たしている病院でも認可されないこともある。認可されないために年間にすれば数億円に上る損があるであろう。加算できれば、人件費等に充てることができる。


 実際のMFICUは、ICUという名前がついているので誤解を招くのだが、本当に重篤な疾患を合併していて、急激な悪化が母体にあれば、そこで妊娠を終了させてしまい、分娩後に大人用のICUに移す。そこからは普通の患者と変わらない。胎児が子宮内にいて、しかも「ICU」という管理が必要な状態にはまずならない。


 通常、MFICUにいるのは、妊娠早期の破水とか、高度の安静が長期に必要な状態の妊婦が多い。したがって、クリーン度の必要性も乏しいし、助産師でなければ看護できないということも実際はない。助産師も産科医同様に不足しているので、臨床上で問題がなければ、以上の施設基準は見直して、実際扱っている疾患に対しての保険上のインセンティブをつける方が病院にとっても良いと思う。


 とはいっても、「総合」と「地域」の区別を外すことや「周産期センター」という名称をはずすことには抵抗があるだろうから、センターとしては施設基準を満たしていなくても、実際疾患内容としての同等の対応をしている病院には、同じ程度の保険上の請求が可能なような方策をして、積極的に周産期医療をになってくれる病院が増えるようにした方が良い。数は多いに越したことはないし、近くにあってアクセスが良い方が、母体が助かる確率が高い。例えば「周産期提携病院」などとしたらよいのではないか。母体の重篤な合併症を扱うには、「こども病院」のような脳外科や循環器内科がない病院よりは、普通の「総合病院」で普通の「産婦人科」がある病院のほうがはるかに有利である。「こども病院」が県で唯一の「総合周産期センター」である場合、母体の合併症がある病院の方がはるかに有利である。「こども病院」が県で唯一の「総合周産期センター」である場合、母体の合併症がある場合には受け取れないのであるから、その県の周産期医療政策は、根本的に考え直す必要があるだろう。


C:周産期医療が不採算医療であることの是正
 そもそも、「周産期センター」、特に「NICU」も「お産」も現在は不採算医療であるために、いわゆる公立病院でなければ担えないことに問題がある。NICUやMFICUのある民間病院には自治体から補助金が出ているが、不採算医療を払拭できるほどの額ではない。都立病院や公立病院には、補助金はない。自分で自分にお小遣いをあげるようなものだからだ。したがって、余計に収益が悪くなる。公立病院の赤字退室は病院の責任ではなく、本来入院医療にはもっとお金をかけるべきであるのに、保険点数を低く設定し、特に昔から行っている医療の保険点数は低く設定してあり、上げないからである。


 始めに述べたように、国は多すぎる病床を減らすことに汲々(きゅうきゅう)としていて、周産期医療を崩壊寸前にまでしてしまった。公立病院が経営に努力していない、というよりは努力しても黒字になれないような保険点数にこそ問題がある。他の国の医療費と比較すれば一目瞭然であるが、外来診療にかかる医療費はおおよそOECDの標準であるが、入院診療の医療費は低い。医師の人件費が低いからというのは常識だ。病床数は他国に比較して極端に多く、在院日数は長い。医師数は少ないので、医師1人でたくさんの入院患者を受け持って、忙しく働いている医師の姿は統計上の数字でも容易に想像できる。収入も低い。


 その上、病院は周産期医療は不採算であるので、やりたがらない。周産期に特化した保険点数にして、病院が経営上もメリットがあるように設定すれば、参入する病院が出てくるだろう。そうすれば合併症がある妊婦を受け入れられる病院が多くなる。産科医を増やさなければならないとしても、周産期医療に対しての考え方が変わる可能性がある。周産期医療の集約化は「緊急避難行為」である。アクセスが良ければ、妊婦も助かるし、多くの病院が受け入れることができれば、「センター」の医師の負担が減って、激務から解放され、産科を希望する若い医師が増えるかもしれない。とにかく周産期医療にもっとお金をかけて欲しい。


(3)周産期ネットワーク専用の人の配置
 今回の脳出血の妊婦の受け入れ困難事例について、救急との連携不足を指摘する声もあるが、現場に働く産科医としては、それは一寸違うのではないかと思う。例えば脳外科の病床が空いていたとしても、産科医の手があいていなければ、実際に受け入れても脳外科医に帝王切開をしてもらうわけにはいかないので、問題は解決しないと思う。あくまで産科医あっての救急対応なのだ。


 産科医の立場では、救急医療情報システムが使えないことについては、救急は3次救急以外は、入院が必要かどうかは診察しなければ分からないため、とりあえず診察依頼という形になると思うが、妊婦の救急は、まず絶対に入院になることが明白だ。しかも新生児のベッドも要る。妊娠週数によってあるいは分娩させてみたらNICU対応でないと無理ということがある。それも時間が限られているということであるので、やはり周産期医療情報システムは特別でなければならないと思う。


 しかも大変細かい情報が必要とされるし、見通しや予後や専門的知識が必要とされるので、現在は医師が電話した方が通じやすい。今回のような情報の行き違いについては、われわれも良く経験するが、救急の看護師も対応するし、医師が始めから出るホットラインのようではないので、このような情報の不正確な状態が起きる可能性はある。このため、専門の「周産期医療情報システム」専従員を各病院に一人ずつ(夜間も)配置して、正確な情報のやり取りと、定時で情報の更新をすることで、より正確な情報提供ができると思う。当直帯の医師は忙しいので情報の更新はとても無理である。


 ぜひ「周産期医療情報システム」専用の人の配置と端末の整備をしてほしい。そこに救急のネットワークがどのように提携するかは今後の課題と思う。


 情報内容としては、産科病棟の空床だけでなく、ICUNICU、GCU、救命救急センターの状況、手術室が使用可能かどうか、麻酔科は対応可能か、脳外科とか循環器内科とか関連科の情報を把握することで、少なくても対応してくれる病院を探し回る時間や電話を掛けまくる時間の節約ができるし、搬送までの時間を短縮することができると思う。
内容を統一して決定するに当たり、各地域の「周産期医療協議会」がその任に相応しいと考える。


(4)院内保育所の整備:「ここの保育所に子供をいれたいからこの病院に就職したい」と言われるような保育所をつくる
 産婦人科は女性医師の割合が若い世代で多いので、妊娠・出産・育児によるキャリアの中断が大きな問題になっている。「働く」ことについての意識の差はあるかもしれないが、できればずっと働いていきたいという意思が、ほとんどの女性医師にあることは疑う余地はない。産婦人科女性医師の離職率は43%という数字があり、これは少ない方であるということだ。日本産婦人科学会の調査でも、10年経つと半分の女性医師は分娩取り扱いをしていないが、ただでさえ少ない産婦人科医が、半分近く離職してしまう影響は計りしれない。


 以前よりは、女性医師の継続的就労についての理解が進んできたようにも感じられるが、働く環境の整備についてはまだまだという感が否めない。子育ては一人ではできないので、父親である夫の協力、肉親の協力があればより働きやすいと思うが、病院側の意識改革も重要だと思う。「院内保育所」の整備は重要である。聞くところによれば、フィンランドでは保育者の質も大学院出身であったりと大変高く、良い子供を育てることに国全体が最重要課題として取り組んでいるということだ。保育時間も、朝6時半ごろより保育所に預けることができたり、朝食も出してくれたりするという。夜間保育、24時間保育など、働き方によってのメニューも豊富だそうだ。


 もちろん、長時間保育が子供にとってどうかという視点も大事だとは思うが、どうしても肉親や夫の協力が得られない場合には、利用できて、子供にとっても良い環境の保育所であれば、女性も仕事をやめるという選択ではなく働き続けることができる。そのような素晴らしい保育園所であれば、「その保育園に子供を預けたい」ということで女性医師に選ばれる病院になる可能性もある。女性に選ばれると言うことは、男性医師にも当然働きやすいのである。
こういう環境を整備することは、労働する側への単なるサービスではなく、今後の国の成り立ちを支える事業になる可能性がある。


 都立病院には院内保育所はあるが、そこまでの思想はない。公立病院は率先して女性医師が働きやすいような環境整備をしてほそお。それが医療を立て直すカギになるかもしれない。


(5)職住接近
 (4)とも関連する事であるが、職住接近は大変重要である。周産期医療は、緊急手術が多い。また時間で区切れるような医療ではないことも多い。分娩は24時間365日あるので、医師の人数が多くなれば、完全に交代制勤務を敷くことができるが(この体制が理想である)、そこまでではないときには、自分達の生活と仕事の両立を1日24時間の中で図らなければならず、通勤時間が長ければ長いほど困難になる。夜中の呼び出しにしても、住居が近ければ負担はなくならないまでも減る。病院側としても、近くに住居を用意するとか、借り上げ施設を用意するとか、医師にとっても健康被害にならずに働けるような条件整備をしてほしい。

都立病院の産婦人科医の立場から見た妊婦搬送問題(5)
「農家に嫁が来ないのは、来ない嫁が悪いのか?」

2008年11月28日

3. 周産期センターの看護師・助産師にもっと権限と医療技術を持ってもらう
 産科医不足が、当分の間、解決しないのであれば、以前より懸案であったことについて議論しても良いと考える。特に公立病院のコメデイカルについては、「働かない」批判があることは事実であるし、その分、医師の仕事にしわ寄せが来ている。


 少なくても法律上認められていて、他の病院では看護師・助産師の仕事になっていることについては、実行してほしいと思う。例えば血管確保であるが、当直医が弛緩出血で手が離せないときには、血管確保をしてくれないと妊婦さんの命にかかわる。また、医師の指示があれば可能である薬剤投与などもしてほしい。医療事故を恐れるあまりに、また責任問題にかかわりたくないのか、「すべてを医師に」という風潮があり、残念である。


 そのほかにも「分娩の進行を判断できる」あるいは「胎児の状態を判断できる」知識と技術があって、医師に報告しつつ一緒に対応できるのであれば、医師の負担はだいぶ軽減できるし、その分、医師はもっと重症例に対処できると思う。また実力がついたり、責任がある仕事をした方が若いコメデイカルにはやりがいにつながって楽しいと考えるがいかがなものであろうか。


4. 公立病院であっても、コントロールする機構には「現場医師」の意見を入れる
 2010年3月に、都立府中病院が「多摩総合医療センター(仮称)」として改築され、隣接地に、八王子小児病院と清瀬小児病院と梅が丘小児病院の3つを統合する「小児総合医療センター」が開設される予定になっている。


「多摩総合医療センター(仮称)」には、東京都多磨地区に圧倒的に不足する周産期医療への切り札ともなるべく「総合周産期母子医療センター」がオープンする。計画では、MFICU9床を整備する。「小児医療センター」には24床のNICUと48床のGCUを整備する予定で、完成すれば小児科側72床、母体側51床(含MFICU9床)の総合周産期母子医療センターとなる。


 これらの病院は2001年より計画されて今日に至っているが、当初は周産期センターの産科部門を小児病院側に作る予定であった。理由は、同一の病院内にないと、「総合周産期母子医療センター」としての認定が受けられず、保険上、MFICUの加算ができないためである。その後、東京都の周産期医療協議会は、隣りの病院にあってもごく近くで同一の病院とみなせるほどの施設であれば、実績次第では「総合周産期母子医療センター」の認定をする、という見解のために、東京都は小児病院側に産科病棟を作ることにこだわった。われわれ現場の産婦人科医は、「現府中病院側に産科がなければ母体の合併症が診られず、母体を救うことができない」と主張し続けたが、なかなか意見は受け入れられなかった。


 そもそも都の現病院経営本部には医師が一人もいない。現場の意見を理解してくれる役人がいないので、私たちとしては、まず役人に、産科医療を理解してもらうことから始めなければならなかった。これは難しかった。しかもやっと理解が得られたと思うと、転勤してしまうので初めからやり直さなければならない。他科の医師にですら産科医療の特徴と母体や胎児の状態が急変するスピード感を理解してもらうことは難しい。母体の合併症が扱えなければ何のための周産期センターか分からない、という思いは変わらなかった。私たちの意見に同調してくださった府中市産婦人科医会、東京地方部会多摩支部、東京産婦人科医会、東京都医師会などのお力をお借りして、最終的には母体を扱う産科部門を、現府中病院側に作ることで了解してもらった。


 しかし、そのまま産科部門を小児科部門に作っていれば、今回のような脳出血には対応できない事態になったと思われる。医療のことは医療者でなければ理解しがたいことがたくさんある。いちいち役人に理解してもらってからやるのでは、現場のエネルギーが割かれすぎる。産科医療の現場にはそのような余裕はない。であるので、病院事業を扱う部署には、現場の意見を入れるべく医師の配置が必要と考えるし、役所と議会への橋渡しをするような部門をぜひ創設していただきたい。


5. 産科医を増やすには
 「農家に嫁が来ないのは、来ない嫁が悪いのか?」


 日本産婦人科部会内に「女性医師の継続的就労支援委員会」を2006年6月に立ち上げて、第1回の調査をし、その結果を持って、委員が各都道府県地方部会に結果報告に赴いている。特に女性の委員が、もちろん私も、ある感想を抱いている。地方にいってざっくばらんに話すと「女医さんは妊娠したら辞めるのが当然だよね」とか「やっぱり男が産婦人科になってくれないと」という「素直な」意見がたくさん出てくる。多数の女性医師が東京に研修に出てくる地方もある。学会の意思決定機関には、女性がほとんどいない。

 
 よくよく産婦人科医の年齢構成と人数のグラフを見ると、約20年前からは顕著に男性医師が減り続けている。一直線に減っていて、それを女性医師が補っているというグラフに見えないこともない。ここまで一直線に減っていると、あと1-2年で男性医師がゼロになる勢いである。外科系はおおむね希望者が減り続けているが、その原因はもちろん過酷な勤務条件であったり、医療訴訟の問題であったり、が大きいのであろうが、しかしそれだけなのだろうか。比喩で言えば「農家に嫁が来ないのは、来ない嫁が悪いのか?」ということが。少なくても産婦人科は、ここ20年間は男性医師には選ばれていないのだ。増やすにはどうしたらよいか、産婦人科を選択してもらうためには何ができるか。しかも周産期医療に従事してもらうためには何ができるか。われわれ現役産婦人科医に問われている問題である。


 「産婦人科医は産婦人科医にしか育成できない」という当り前のことを考えれば、まず産婦人科を希望してもらうために、産婦人科医学や医療の素晴らしさ、やりがいを医学生にアピールして、夢を語り、一緒にやろうと呼びかけて同調してもらう必要がある。実際に選択してくれた貴重な人材に対しては、技術を指導し、独り立ちするまでに医療事故に遭わないように、24時間指導できるような体制をつくる必要がある。今から5-10年かかるが、辛抱強くやっていくしかないし、その指導医の努力に対しては、社会が報いてくれるような、あるいは守ってくれるような体制が必要である。今はすべて逆のベクトルが働いているし、負のエネルギーしか感じられない。これでは未来が想像できない。


 私たちが、現在都立病院に勤務している理由は、「自分たちがベストであると思う医療をするに当たり、妨げられることがない」という理由だけであり、経営母体とは関係がない。私個人としては「われわれが受け継いできた産婦人科医療技術を次の世代に渡したい」と思っている。医師のモチベーションがカギを握るであろうが、それ以上に上記の条件が整わなければ明日がない。


 今回の痛ましい事例については、現場の産科医としては言葉を失うが、当事者を責めても仕方がなく、誰もが何とかしたいと思っても何ともできなかったということであろう。とはいえ、少しでも先に進むために今回、意見を上程した。何らかの参考にしていただければ無上の喜びとするところである。


東京都の公立病院の産婦人科医という視点ではあるけれど、周産期医療全体の問題点も整理されているのではないかと思います。
この記事が書かれたのは2008年ですが、その後、各地で周産期搬送ネットワークシステムが整備され始めました。


各地で周産期医療の未来を考えながら、システム作りに奔走された方々がいらっしゃるのだと思います。


同じ時代を経験しているのに、助産師の中からはこういう辻褄のあった意見が出てこないのはなぜだろうと、助産師の世界と我と彼の差に考え込んでしまうのです。




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