世界はひろいな 35 <コミュニケーション能力のあれこれ>

東南アジアの某国で暮らして、市場の人混みや荷物を運ぶバイクや車のクラクションなどの喧噪を初めて体験しました。
今ではテレビの紀行番組などでよく見かける場面ですが。


その人や物の流れの勢いに圧倒されたのですが、不思議な感覚がありました。
「意外に静かだな」ということです。
日本でいえば御徒町築地場外市場のあたりの雰囲気なのですが、静かに感じたのです。


しばらく暮らしてみて、なんとなくその理由がつかめました。
人の声が静かなのと、あまりしゃべっていないのです。


どこの国も、女性が3人よればかしましいものだと思っていました。
ところどころで女性が立ち話をしているのですが、発声のトーンが低いこととしゃべり方も静かでゆっくりしていて、ひとことふたこと話と相手が相づちをうって終わりといった感じです。
平均して女性はそんな感じでした。
男性はさらにしゃべりません。市場でも人を呼び込むために大声を出し続けることもありませんでした。


日本に戻ってくると、空港でも電車の中でもこんなに人の話声が響いている社会なのかと驚きました。
日本語の特色なのでしょうか?話すときのトーンが高めなので、まずそれがうるさく感じました。
特に女性の声は高い上に、ずっとしゃべり続ける感じです。電車などでも女性の2人組が乗ると、10秒も沈黙がないのではないかと思うほど、ずっと話が続きます。
そして、日本人同士の会話の中には「笑い声」がやけに多いことが気になり始めました。
なんでそこで笑うのだろうと。


まるで笑わなければ、会話も人間関係もなりたたないかのようです。


ちょうどお笑いブームが始まった頃で、それまでは寡黙な印象だった日本人男性も、街中や電車の中でひっきりなしにしゃべる人が増えたように感じました。
むっつりよりは、明るそう、話しやすそうというイメージの方が好まれるようになったのでしょうか。


<「授業に漫才?」>


先日、たまたまみたNHKの朝のニュース番組の中で、コミュニケーション能力を養うために授業に漫才を取り入れた小学校を紹介していました。


「最近の子どもはネットやゲームでコミュニケーション能力が低下している」という話に、まず怪しいと感じました。
「今の子どもは○○ができない。そのために△△が有効」という話には、疑ってかかるほうがよさそうです。


出勤の支度をしながら聞いていたので、聞き間違いがあるかもしれませんが、「コミュニケーションが温かくできれば傷つけないし、傷つかない」、そのために漫才のボケとツッコミを練習問題にさせて皆の前で発表するというものでした。


学校ではなかなか話すことができないという、一人の少女が紹介されていました。
そしてこの練習をするようになって、皆と会話できるようになったと。
その母親がコメントしていました。
「うちの子は学校で組み体操やソーラン節ができなかった。なかなかその中に入っていけなかったのが、できるようになった」。



ああ、私だったら組み体操の危険性やソーラン節が流行る日本の社会不思議さについて、その子に話すと思います。
そして、「大丈夫、皆と同じことができないからといって、コミュニケーション能力が欠けていることではないから。世界にはもっと違うコミュニケーションの方法や能力が求められる社会があるから」と。



こういうことをおかしいと感じないでいい話だと放送するのですから、NHKは本当にどうかしちゃったのかと驚きましたが、社会全体にそういう話を支持する人が増えて疑問にも思わないということの裏返しでもあるのでしょうか。




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