つじつまのあれこれ 8 <「自力出産」とは何か?>

「自然なお産運動」の人たちは本当にいろいろな言葉を思いつくものなのだなあというのが、「産み育てと助産の歴史」医学書院、2016年)を読んでの感想です。


その中で使われていた「自力出産」はどのようなことを指しているのだろうと、気になっています。


「自力出産」あるいは「自力で出産」という言葉は、「4 医療者が介入しない出産」で使われています。


たとえばこんな感じ。

 助産婦が村に登場する以前は、無資格の取り上げ婆が出産を介助していたと考えられることが多いが、本調査では取り上げ婆のいない出産はまれではなかったことが複数の人の語りから明らかになった。取り上げ婆は近代以前の出産の場で大きな役割を担ってはいたが、産む女性たちとその家族は出産経過すべてを取り上げ婆に委ねていたわけではなかった。共同体内の出産では、産婦が一人でいることはまれだったが、誰もそばにいない場合や、助産婦や取り上げ婆を読んだものの、間に合わなかったケースもあったのである。

産まれるなあと思ったら、お父さん(夫)に産婆さん呼んでもらうの。たいていは生まれてから産婆さんが来たが(笑)。ええ、一人で産むんですよ。(S1)

この事例を含めて助産婦や取り上げ婆を呼んだが間に合わず自力出産した人が二名(S1、S13)、助産婦や取り上げ婆を呼ばず、家族とともに、あるいは自力で出産した人が4名いる(S4、T5、S7、S11)。S4、T5、S7は一人目ないし二人目まで取り上げ婆あるいは助産婦に介助してもらったが、慣れるに従い介助者に頼らず出産していた。

一人目は、どうしていいかわからんから、助産婦を呼んだけん、二人目からは母やお父さん(夫)が手伝どうてくれたときもあれば、自分ひとりで産んだときもある。(S4)


畑の仕事してさ、もう腹いたくて我慢しきれなくなったら、かせいでいたんだ(生まれないように時間を稼ぐ)。我慢しきれなくてやすみやすみいって家まで届いたらすぐ生まれた。それだけ我慢して働いた。

これらの事例は助産婦が村にいない隔離された立地にあり、夫婦が共同体との関わりがさほど強くなく、さらに経済的に余裕がないなど、いくつかの要素が他者の援助を求めなかった理由としてあげられる。また産婦がより自律的で、健康であり、産むことに特段の不安がなかったことも理由にあげられるだろう。村の人は難産にならないと助産婦を呼ばなかったという話は、複数の助産婦の語りからも聞かれた。

「自力出産」の定義は明確に書かれていなかったのですが、どうやら取り上げ婆を含む専門的な分娩介助者のいない中での出産を指すようです。


では、「産婦がより自律的であり」とはどのようなことなのでしょうか?



「出産姿勢」の中で、こんなインタビュー内容が書かれています。

 ここでは出産予定日が特定されていない状況のなかで、畑仕事をしているときに陣痛が始まったことが語られている。おなかが痛みだしたので、歩いて家に戻り、家の中に産む場所をみつくろい、敷物を敷いて自力で産む環境を整える。そしてかかとで肛門を押さえて、赤ん坊が飛び出してこないように自分でいきみを調整しながら産むのである。こうした一連の行動は事前に想定されていたものではなく、身体に表出される咄嗟の動きであることが注目される。自身が取り上げ婆であったT5は、自らの出産のときの行動について以下のように語っている。

寝てる過度にタンスがあったから、タンスに手かいてすがって、なんもりきめば、ぺろって出あっけも、やっぱり2〜3時間、痛かったけんども膝ついてたね。あす(足)なんかが、しっかがれる(引っかかる)から、ひっぱり出さねばねえ。あす(足)があとから出はるんだもん。頭が出ると自分でもってこう出す。(T5)。

そのときは正座に近い姿勢であったのだろう。床と尻の距離が近いので、赤ん坊が出てくるとには腰を浮かせて、出やすいように尻の下にスペースをつくる。介助者が誰もいない場合には、受け止めてもらうことができないので、赤ん坊が床におちてしまわないように、自ら腰の高さを調節したはずである。赤ん坊は床にすべり出るように生まれるが、足がすべて出きらなかったので、自ら赤ん坊の頭ないし胴体部に手を添え、引き出したというのである。こうした行動は、産婦の不安や緊張が非常に強い場合や、朦朧とした精神状態では成し遂げることは不可能である。さらに産婦が上体を起こした姿勢であることが、こうした動作を可能にさせる。寝た姿勢では、自ら出産した赤ん坊を引き出すことは、まず不可能であり、また子どもが出た様子や足が出きらない状態を見渡すこともできない

たぶん、出産の全ての過程を自分で調節できるという強い万能観が、「自力出産」とか「身体性」というファンタジーになっていくのかもしれません。



「自力出産」という言葉の持つファンタジー(妄想)は、現実に「無介助分娩」とか「プライベート分娩」としてごくごく一部の人たちではありますが、その心を強くつかんでしまいました。


それまで、こうした「自然なお産運動」の良きパートナーとして二人三脚だった日本助産師会が、「警告!! 専門家が立ち会わない無介助分娩は危険です!!」という文書を2010年8月26日に出しました。


「自然なお産運動」の根本は、助産師も含めた医療から出産を自分でコントロールしたいという欲求であることを見抜けずに、自分たちはその運動の良き理解者であると思っていたらつじつまが合わなくなってしまった、そんな印象をその時に受けたのでした。



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