思い込みと妄想 33 <化粧の世界>

私自身は化粧をするのは冠婚葬祭の時ぐらいで、その機会さえ数年に一度あるかないかぐらいの頻度です。


必要な時に慌てて購入して、1回使ったら結局そのまま二度と使われずに廃棄を繰り返しています。
もったいないので、最近はリフィル(詰め替え用)のもので対応しています。


その数年に一度あるかないかの「華々しい」化粧の機会も、会った人には「え?化粧をしているの?」と言われてがっかりする始末。ファンデーションと口紅をちょっとつけたぐらいじゃあインパクトがないのですね。


私自身は清楚な感じに仕上がったと、久しぶりの化粧に満足したのに、他の人が見て分かるほど「化ける」というのはなかなか難しいものだといつも思います。


してもしなくてもあまり変わらないのなら、次回はすっぴんで行こうかとも思うのですが、そういう時に限って、「化粧もしないなんて女じゃない」とか「常識がない」と言われそうでびびっています。


なぜ化粧をしないのかというと、仕事がらすぐに汗をかいたり新生児や患者さんに化粧が付着するのも嫌だと言う理由とともに、こちらの記事に書いたように、皮膚への負担が大きいほどのちのちシミなどの原因になるのではないかと思っていたからです。


あ、あといつもすぐに泳ぎたいというのも理由のひとつですね。


若いうちはまだその差はないのかもしれませんが、中高年になるにつれて自然とシミはそれなりにでてきますね。
私も一部にあります。
それが出現したのが40代に入ってからでした。
小さい頃に水疱瘡にかかってできた皮膚の傷のあとにシミができたのを見て、皮膚を傷つけることはシミの原因になる可能性があるのかもしれないと感じたのでした(個人的体験談)。


それ以外は、まあまあ健康的な皮膚なのではないかと思っています。
その皮膚をあえていろいろな物を塗ったり、落としたり、こすったりといじめなくてもいいかという感じです。


まあ、「やっぱり女性はきちんと化粧をしていないと・・・」という人の気持ちや物の見方はかえられないでしょうし、化粧をしたくないという女性のほうがマイノリティなのかもしれません。


さて、前置きが長くなりましたが、先日出勤前に見ていたNHKのニュース番組の中で、「介護現場の美容メイク」という話題がありました。
介護施設に入所している高齢の女性にも「きれいになりたい」という気持ちを大切にして、化粧をすれば気持ちが前向きになる・・・といった話でした。


たしかにうっすらとお化粧をしてもらった女性は、恥ずかしそうにはにかんでかわいいおばあちゃんになりました。


ただ、年をとるにつれて女性にとっては化粧をすることへのハードルがあがる理由を、あまり配慮していないのではないかなとそのニュースを見て思いました。


まず老眼(とは認めたくない)が進むと、自分の顔の細かいパーツが見えなくなってきます。
あれだけ目が良かった私が、やはり眼鏡をかけなければ眉毛をそろえることもなかなか難しくなってびっくりします。


若い頃に、東急ハンズの化粧品売り場で見つけた拡大鏡をみて、誰が使うのだろうとびっくりした記憶があるのですが、近い将来、私も必要になるかもしれません。


さらに、50代に入ってから指先の力が入りにくくなったり、細かい作業がちょっとずつ苦手になってきました。
化粧をするというのは、そういう身体能力が必要な技術なのですね。


たまに80代の母と外出するときに、母は気合いを入れて化粧をするのですが、口紅がはみ出したり、色のバランスがなんとなく違っていたりします。
街で見かける高齢の女性の化粧に「あっ」と思ってしまうことがあるのですが、視力が衰え、指先の細かい動きができないなかで、でも自分はきれいに化粧をしたというイメージとのギャップがあるのかもしれません。


常に美容部員さんがいるわけではないので、なかなか高齢の女性がきれいに化粧をするというのは難しいだろうと思います。


もうひとつのハードルは、化粧品を購入するという経済力があるかどうかという点です。
収入がある年代の女性にとっても、化粧品の支出に占める割合はけっこうなものではないかと思います。


今、もし私が再び化粧品を使うようになったら、支出の何を削ってそれに充てられるだろうかと考えてしまいます。
プールに行く回数を減らし、水着の購入を控えるとか、競泳の観戦を止めるしかないかな。


私自身は他の人が化粧をしてようがすっぴんでいようが気にならないので、もう「化粧の世界」へ戻ることはないと思いますが。


もし私が介護施設でお世話になるとすれば、定期的にカットしてくれてこざっぱりとした髪型にしてもらえるほうが、現実にはうれしいかなと思います。
まあ、好き好きの問題ですけれどね。




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