カンガルーケアを考える 15 <こんさんのコメントをまとめていきます>

これまでも、<こんさんの話を聞いてください><再び、こんさんのコメントより>で、こんさんのコメントをご紹介しました。


初めてコメントをいただいたとき、こんさんはおそらく起こった状況を受け止めるだけでいっぱいで、病院と話し合いをすることさえまだ戸惑われていらっしゃったようでした。
そして今年8月に入って、こんさんの息子さんがご自宅に戻っていらっしゃり、自宅での介護の生活が始まりました。


その間の状況やお気持ちの変化を、こちらに何度もかき込んでくださいました。
そのいくつかは、記事本文中でご紹介させてもらいましたが、まだまだ私のブログのコメント欄にそのままになってしまっていて申し訳ない想いでした。


こんさんからのコメントは全てプリントアウトしてあって、時々読み返しているのですが、読み返すたびにこんな想いが強くなっていきます。
「助産院は安全?」と声をあげた琴子ちゃんのお母さんと同じような状況を、また周産期医療はつくり出してしまった、と。


そしてその声はなかなか社会に届けられることがないのも、似ています。


こんさんからいただいたコメントに、私の方で見だしを勝手につけさせてもらいながら、すべてこちらに整理していこうと思います。
時系列が少し変わることもありますが、ご了承ください。

☆初めていただいたコメント
☆生後2ヶ月、病院との話し合いをすることになった
☆赤ちゃんを渡した状態では母親に責任があると言われた
☆母子同室に対する脅迫観念があるのかもしれない
☆息子さんの呼吸が止まった時の状況
☆安全対策と付加価値の優先度が逆転しているのではないか
☆赤ちゃんの生存以上に何を求めるのか
☆同じ思いをしているお母さんへ
☆再発防止策話し合いのすれ違い
☆「産後の母親は短い時間でも休養が取れる」と言われた
☆事故情報より神話のほうは信頼されてしまう
☆なぜそのスタッフは自分のしたことに恐怖を感じないのか
☆安全管理が目に入らなくなるほどの自信、母乳への熱意、母性の過信、BFHに対する昂揚感や陶酔感
☆こんさんに、驚くほど他人事のようなひと言をかけられるのは何故なのだろう
☆事故について理解してもらうことの難しさ
☆事故についての病院側からの説明
☆病院側の医療事故ではないという根拠になっているもの
☆「健康な新生児の母子同室での死亡と仮死」のインシデントレポートは未だ義務づけられていない
☆The skeptical OBについて
☆話し合いの過程での気持ちや考え方の変化
☆医療行為でもケアでもなく、ただのイベントだったのではないか
☆「事故は起きていない」という病院側と、「そんなことは自分たちには起こらない」といって安心したい家族側のニーズの両輪
☆再発防止ではなく母乳推進のための母乳推進に
☆NICU勤務の看護師さんはどんな産院で産むか
☆「普通は問題は起こらない。あなたは例外だった」
☆母乳育児成功の10か条を引き合いに正当性を主張される
☆助産師の自己効力感に息子は犠牲になったのではないか
☆帝王切開術後19時間で寝返りもままならないこんさんが、どのような状況だったか
☆もどかしい言い訳
☆人間の命を扱うのにこの軽薄さは一体なんだろう
☆「赤ちゃんに優しい病院」の方針を変えることに何の効果もなかった事故の資料
☆医療とは全く別の価値観を求めているエクストリームな助産師
☆個人の意思や行動で回避できるリスクの範囲を超えて危険が放置されているのではないか
☆危険を予測しなければいけない立場で危機を隠蔽したり、責任転嫁をしている
☆過去の事故を事故として認めない限り、ガイドラインなど作ったところで事故は防げない
☆自分の信条にそぐわないことが現実で起こった場合、その認知不協和を解消するために事実誤認を起こす
☆母乳が万能と考えている人には何を言っても無駄であることを学んだ
☆母子同室そのものや母乳推進の問題点や病院の管理責任まで議論がなかなか及ばない
☆母乳権のためなら生存権すら犯してよいのか
☆事故調査制度の不完全さをいいことに、事故やクレームを母子個人に原因があったかのように片付ける
☆こんさんの息子さんの自宅での介護生活が始まった
☆産科医療補償制度の対象になったー「『疲労困憊中の母親に預けた』ことの責任は無過失になる」矛盾
☆母子同室中に急変した事例
☆2歳になりました。事故調査報告書を提出
☆母子同室は「溺れた人は自分で助けを呼びに来てください」のようなもの



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