「精神的には伸び盛り」

競泳の大きな国際大会が終わるたびに、いつも応援している選手が引退表明をするのではないかと少し戦々恐々とした気持ちになります。


そんな中で、「リオ五輪に"滑り込んだ"古賀淳也。「最速スイマー」の称号で東京目指す。」とありました。


そのNumber Webの記事では、「ここまで来たので、次ぎは20年東京五輪を目指す。4年後の33歳という年齢は肉体的な年齢に関しては難しいところがあるけれど、精神的には伸び盛りだと思っている」とインタビューに答えています。


さすが、さまざまな局面で気持ちを切り替える強さを培ってきた古賀選手らしいと思いました。


古賀淳也選手の経歴を見ると、私が競泳観戦をし始めた時は高校生でインターハイで優勝した頃だったのではないかと思います。
おそらく決勝か準決勝まで進みながら、これからが期待される選手のひとりぐらいだったことでしょう。
当時、背泳ぎのトップスイマーは皆大学生でしたから、その背中を追って「いつかは背泳ぎでオリンピック選手に」と練習を積んでいたのだと思います。


伸び盛りだった早大4年生のころ、09年世界水泳選手権(ローマ)で男子100m背泳ぎの金メダリストになった。そこから今までの7年間は、世界選手権やパンパシフィック選手権には出場してきたものの、ロンドン五輪代表選考会では派遣標準記録に届かず、リオ五輪も背泳ぎでは代表入りを果たすことができなかった。緊張する場面では、どうしても動きが硬くなっていた。
いずれもコンマ数秒という僅差での敗退だった。
(Number Web)


きっと古賀選手にとっては、背泳ぎのオリンピック選考会としては最後になるのだろうかと寂しい気持ちになっていたのですが、まさかの自由形で今回オリンピクに初めて出場することになったのでした。

4月の代表選考会では、100m背泳ぎの五輪切符を逃した2日後に出た100m自由形で4位となって、4×100mフリーリレーのメンバーに滑り込んだ。選考レースでは50mのターンで7位だったが、ターン後のバサロキックで加速し、ラストで3人をごぼう抜き。派遣標準記録もギリギリでクリアした。失意からの大逆転劇は、選考会最大のサプライズだった。
(Number Web)


そしてリオオリンピックでは、48年ぶりの400mフリーリレーでの決勝進出、8位入賞となりました。


その日本選手権の様子をまとめた矢内由美子氏の「古賀淳也に奇跡を起こさせた米国コーチの言葉」という記事があります。

4月4日から10日まで東京辰巳国際水泳場で行われた水泳日本選手権兼リオデジャネイロ五輪代表選考会。数々のドラマが生まれた今大会で、目立たぬながらも珠玉のミラクルストーリーを紡ぎ出したスイマーがいる。
09年世界水泳選手権男子100メートル背泳ぎの金メダリストでありながら、同種目ではロンドン五輪に続いてリオ五輪の代表も逃していた古賀淳也(第一三共)が、練習時間の2割ほどしか割いていないという"専門外"の自由形で、28歳にして初の五輪切符をつかんだのだ。


2日間で自己ベストを0秒55縮める


6日夜にあった専門種目の100メートル背泳ぎで3位に終わり、リオ五輪切符を逃してから一夜。7日午前に行われた100メートル自由形予選に出た古賀は、全体の12番目である49秒61をマークし、7位で決勝に進出した。


8日夜に行われた決勝には1コースで出場。前半を23秒74、7位で折り返すと、ターン後にバサロを使う背泳ぎ選手ならではの泳ぎで後半に追い上げ、49秒25をマークして4位になった。


失意から一転、2日間で自己ベストを0秒55縮めた。背泳ぎ後の青ざめた表情を思えば奇跡的な巻き返しだった。


結果として、古賀を含めた上位4選手のタイムがリレーの派遣条件をクリアしていた。
電光掲示板で順位とタイムを確認した古賀は、1コースから急いで真ん中のレーンへ向かって泳ぎ、中村克(48秒25の日本新で優勝)、塩浦真理(48秒35で2位)、小長谷研二(49秒07で3位)とお互いに祝福しあった。男子4×100メートル自由形リレーでのリオ五輪出場を勝ち取ったメンバーだった。



まさかの自由形で五輪へ


勝負を懸けていた背泳ぎで敗れ、失意に暮れてから12時間。古賀がごくわずかな時間で再び甦ることができたのはなぜか。そこには、12年末から練習拠点として過ごしているミシガン大学の指導者、サム・ウエンズマンコーチの言葉があった。


ウエンズマンコーチが古賀に話したのは、「スイマーは、いつも顔を水につけ、ぐしゃぐしゃにさせて練習している。努力せずにこの舞台に上がってきたスイマーはいない。そこに誇りを持つんだ。誇りを持って、100メートルを泳いでこい」ということだった。


コーチの言葉を聞いて気持ちのスイッチが入った古賀は、無心になって100メートルの予選を泳いだ。すると、意外と身体も動いて調子も良いことが分かった。そもそも、破れた100m背泳ぎも、最後に競い合いで焦って失速したことを除けば、身体自体はよく動いていたのだ。


「予選の後は完全に気持ちを切り替えることができていましたし、準決勝で自己ベストを出した後もまだ余力があった。だから、もしかしたら、という希望を持って決勝に臨むことができました。自由形をやっていて良かった」


背泳ぎ専門の古賀が自由形に本格的に取り組むようになったのは、ミシガン大学に行ってからだった。古賀に自由形のポテンシャルを感じたコーチ陣が、この種目でも代表入りを狙うことを勧めた。


練習に費やす時間は、背泳ぎと自由形では8対2くらいだというが、古賀自身もやるからには中途半端ではなく、しっかり狙えるように取り組もうと思いながら練習をした。そうして自然と力がついてきた。


「背泳ぎでは行けなかったので悔しい気持ちはあるし、一転してこんなに喜ばしい気持ちになるとは、背泳ぎが終わった時点では思ってもみませんでした。諦めなくて良かったです。それに日本にいたままだったら、背泳ぎだけで終わっていたと思う。新しい選択肢を作ってくれたミシガン大学のコーチや、周りの選手に感謝しています。

まさに継続は力なりですね。
もちろん努力も。
やり続けてみると何かどこかで実を結ぶことがあるということに、私自身がこうして競泳の選手の皆さんからも学んでいるのでした。


そして、古賀選手の泳ぎをまた観ることができることが楽しみです。