記録のあれこれ 2 <「たまたま上手くいっただけだろ?」>

琴子ちゃんのお母さんが、ブログでこんさんのコメントを紹介してくださいました。ありがとうございます。


そのタイトルが「たまたま上手くいっただけだろ?」という、まさに本質的な言葉でした。


そう、この「記録のあれこれ」にもつながっていく大事な言葉です。



<松田𠀋志選手の練習日記>


先日引退された松田丈志選手を応援し続けて来た理由に、こちらの記事で紹介した久世コーチとの練習日記があります。


引退前には250冊ぐらいになったそうですが、そのうちの半分ぐらいは、彼が国内で圧倒的に強かった時期のものではないかと想像しています。
400mや800m自由形では、国内のトップ選手を置いてきぼりにして独泳状態だった頃にも、毎日この練習日記がつけられていたのでしょう。


10年ぐらい前の「スイミング・マガジン」という雑誌でその内容が紹介されていて、練習メニューやタイムだけでなく、その日の体調など細かく書かれていたと記憶しています。



国内では常に表彰台のトップに立ち、国際大会でも決勝や表彰台を目指せる選手になっていた頃、どんな思いでこの練習日記をつけていたのだろうと考えていたのですが、もしかするとこの「たまたま上手くいっただけ」に近いものがあるのかもしれませんね。


まるでどこか別のところから自分の行動や泳ぎを観察し、何がうまくいった一因なのか、何がうまくいかなかった一因なのか、常に客観的に捉え記録に残す訓練をし続けた。


そういう努力に裏付けられた泳ぎに、魅せられていたのだろうと思い返しています。



なんと言っても、泳いでいる状態を言語で客観的に表現することはなかなか難しいものです。


手足のちょっとしたタイミングのかみ合わなさとか、その日の体調ですごく水が重たく感じるとか、疲れていたり気分が乗らなくて思いっきり泳ぐ気になれないとか、そういうわずかの事実も見逃さずに記録するのは大変だろうと思います。


その膨大な記録によって初めて、自分がメダルをとった泳ぎは「自分は努力し、自分は能力がある」からではなく、「すべてがかみ合ってたまたまうまく泳げたのだ」ということが理解できるのかもしれませんね。



「たまたま上手くいっただけだろ?」
本当に、分娩介助や授乳の方法などに言える言葉ではないかと思います。
それが理解できていないと、「こうすればうまくいく」という万能感にあふれた方法論が跋扈するのでしょう。



だから、記録は大事。




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