目から鱗 11 <個人的体験談>

私が「個人的体験談」という言葉にであったのは、50歳を目前にした頃でした。
「半世紀ほど生きてきたのに、こんな言葉を知らなかったのか」と、「目から鱗」どころか、本当に頭をなぐられたように感じました。


「個人」の「体験談」だったら、まあよく使う日本語なのですが、「個人的体験談」となると私が考えてもこない概念が広がったのでした。


その言葉を知ったのはkikulog助産師に広がるホメオパシーの問題を考えていた時でした。


「個人的体験談は効果を示すものではない」
たしかにそうだ。
でも、私たちの身の回りにはなんとこの「個人的体験談」が多いことでしょうか。


「これを使ったら良くなった」から、「こうしたから私は幸せになった」まで。
それが「あれは効くらしい」とか「そうすれば幸せになるらしい」になって、じわじわと社会に広がって行く。
「気休め」程度とか「眉唾だけれど」と距離をもってその話を聞き流せればよいけれど、どんどん深みにはまって財産を投げ込んだり、次々と新手の商売にひっかかったり。


「個人的体験談」という言葉を知っていれば、もう少し私も寄り道をしなくてすんだのではないかと、自分の人生あちゃーな体験を振り返ったのでした。



<「個人的体験談」とは>



「科学と神秘のあいだ」(菊池誠氏、筑摩書房、2010年)に書かれている「個人的体験談」についてはこちらの記事でも紹介したのですが、再掲します。


 科学は客観的な事実を相手にする。客観的っていうのは、誰が見ても同じになるっていう意味だ。でも僕たちの日常の経験は客観的なものばかりじゃない。むしろ、他人とは共有できない個人的な体験のほうが圧倒的に多いと思う。個人的な体験は共有できないから、そこには奇跡の起きる余地もある。そんなわけで、日常の瑣細なできごとの中にも、科学と神秘にかかわる問題がたくさん転がっている。
 たとえば、長く会っていない友人のことをふと思い出したちょうどそのとき、当の友人から電話がかかってきた、なんていうささいな奇跡は、きっと毎日のように日本中のどこかで起きているにちがいない。客観的には神秘でも奇跡でもないものが、個人にとっては神秘にも奇跡にもなる


この一文のおかげで、母の霊感の謎も解けたのでした。



<産科病棟の都市伝説のあれこれ>



「個人的体験談」という言葉を知ってから、「産科のあるある」とも言えるあの話も同じだと理解できるようになりました。


産婦さんやその御家族から、「満月の日はお産が多いのですか?」「台風や低気圧が通る時はお産が多いのですか?」と頻繁に質問されるあれです。
以前は私も、「今日は満月だからお産が来るかも!」「低気圧だからお産も荒れるかも!」と言ってしまっていました。
ああ、いい加減なことを口にしてしまっていたなと反省です。


確かに低気圧は偏頭痛の方などには影響があるようなので、人体への影響が全くないとは言えないのかもしれません。
ただ、満月の日にも低気圧や台風の日にも、まるで凪(なぎ)のようにお産も何もなく静かな日もあるのですが、そういう記憶は忘れやすいのですね。
たまたまお産があったり忙しいと、「やっぱり満月だから」「やっぱり低気圧だから」と言いたくなるのでしょう。


最近ではこの質問に対しては、「まあそういう日もあればそうでない日もあるけれど、そうでない日のことは忘れやすいのですよね。もし本当に満月や台風が出産と関係があることが分かっていれば、産科病棟ではその日にスタッフを多く配属できるからとても便利だけれど、そんな話は今のところないので」と返事をしています。
ちょっと拍子抜けするようですが、たいがいはそれで納得してもらえます。


そうそう、新卒の頃に一緒に働いていた70代の大先輩が、「お茶をこぼしたり、調乳していてミルクをこぼすとお産が来る」と言っていました。
本当にお茶をこぼすとお産があったので、ずっと信じていました。


さて、この真実は如何に。
やっぱり上で引用した文章で解決できそうです。




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