観察する 11 <観察から仮説へ>

私の分娩記録ノートを読み返すと、おおよそ分娩介助経験300例あたりから、その記録内容にまた変化があります。


その変化とは、自分なりの仮説が書き込まれるようになったことです。



たとえば、「こういうお産のパーターンには、Aという状況が関係しているのではないか」「Aの状況にならないように予防すれば、より正常な経過になるのではないか」という感じです。


わかりにくいですね。


その当時、もう少しで赤ちゃんの頭が見え隠れしそうな「排臨(はいりん)」というあたりで、赤ちゃんの心拍数が持続的に徐脈になってしまうことを何度か経験しました。
心拍数が回復しない場合には、吸引分娩などで一気に娩出をさせる必要があります。


「なぜこの段階で、突然心拍数が下がってしまうのだろう」
「人工破水のタイミングと関係があるのだろうか」
「初産よりも経産婦さんのお産で、そういう状況が多いような気がする」
「急激に胎児が骨盤内を下降するからだろうか」


いろいろな可能性を考えていた記録が書かれています。
それが自分なりの観察に基づく仮説だったのです。



そして当時は、アクテイブバースの考え方にもだいぶ影響を受けていたので、産婦さんの体勢を変えることで「胎児心拍の下降が少ない、または下降からの回復が早い」可能性も試行錯誤していました。



<仮説とは>



さて、「仮説」とはどういうことでしょう。
日頃、なんとなくわかったような気分で使っている言葉ですが、あらためてその言葉の意味を知ると、「ああ、すべてがつながって来た」という感慨があります。

仮説とは、真偽はともかくとして、何らかの現象や法則性を説明するのに役立つ命題のこと。

さらにこう書かれています。

別の言い方をするならば、何らかの実際の現象や規則性に出会ったものの、その現象や規則性が出現する仕組みや機序が知られていないような場合に、それを説明するために、人が考え出した筋道や推論の前提のことである、

何らかの現象(事実)を説明することができるように考えて作った命題は、命題それ自体は事実に合致していることがわかるまでは全く真偽不明なので、あくまで「仮の説」なのである。

あの頃、私が一生懸命に考えた仮説はその後どうなったのでしょうか?


不思議なことに、当時ほどは分娩間際に持続的に胎児心拍が下がること自体が少なくなりました。



可能性としては2つほど考えられます。
あの頃に同じような経過のお産に集中的にあたった偶然性の可能性がひとつ。
そしてもうひとつは、経験を積むに連れて、「Aのような状況」にさせやすい私自身の分娩介助のクセのような何かがなくなったこと。


真偽はよくわかりません。




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